末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

予定通りに進まない情けないこの頃と、TT会出席 

2019-10-31 13:44:26 | 

21日に「明日からブログ書きます」と書いてから、はや10日も経ってしまいました。

この頃は後述の様に体の調子も悪いせいか、予定した様に物事が処理できなくなり困っています。

 

24日に東京の神田で行われた会社時代の仲間の定例会「TT会」に出席するため

駅までは家内に車で送ってもらったのですが、久し振り電車で出掛けたため駅の階段の上り下りを余儀なくされた結果

すっかり膝や腰が痛くなり、貼り薬を貼っていますが未だ痛い状態で歳を感じています。

小生より一つ年上の仲間と帰りに大手町の地下鉄の駅の階段を下りる時

二人とも手摺りに捕まりながら一段ずつ足を揃えてゆっくりと下りる状態でした。

 

TT会と言うのは「高木・高木の会」の略称で、既にお亡くなりになってしまいましたが

何回かは出席されていた大先輩のお二人の高木さんの名前を付けた

化学プラント事業部の部課長であった人達のOB会です。

平成13年当時の会員名簿を今見ると、20人の名前がのっていますが、何と11人が既に亡くなっています。

現在の会員はその後若い方二人が加わって11人ですが、その中四人は出席が難しい体の状態になっておられる様です。

今回は元気な7人全員が出席しましたが、小生は歳の順3番目となりここでも歳を感じました。

ただ会社をリタイアーして相当の年数が経ており、以前は毎月この会が開催されましたが

今は年に2、3度と少なくなったものの、このような会で昔の仲間と話し合えることは嬉しく有難いです。

この会の幹事をして下さっているのはS君で、

S君はブログに度々登場するプ開会の幹事もして下さっており感謝です。

 

          終わり

 

 

 

 

 

 

 


長野から戻りました

2019-10-21 19:01:47 | 工場見学

長野から戻りブログ再開しましたので、またよろしくお願いいたします。

皆様もテレビでご覧になっておられるように、千曲川が氾濫して大災害が起きました。

長野では連日災害の様子がTVで放映され、その凄まじさに驚かされました。

罹災者の皆さんの一日も早い回復をお祈りするばかりです。

今回一緒の旅をした家内の一番下の妹の主人の長野市の実家は、千曲川堤防へ歩いて3分程の近くでしたが

全く被害がなくホットしました。長野の我が家や、千曲市の家内の実家は千曲川から離れており

お陰様で全く被害はありませんでした。

そんな事で罹災者の皆さんには申し訳無かったのですが、予定通り木曽路の散策をしましたので

明日から順次ご報告をさせて頂きます。


自分史その1 生まれてから小学校に入るまで ニ 湖柳町時代の3 五部の同級会「いずみ会」の2

2019-10-13 14:31:00 | 工場見学

大型台風19号が各地に大災害をもたらしており

災害を受けられた方達にお見舞いを申し上げるとともに、一日も早く復興されるようお祈りしています。

我が家でも雨戸がない場所のガラス戸には全て養生テープを貼りましたが、お陰様で被害なしに済むことが出来ました。

ただ実家のある長野市や千曲市では千曲川の氾濫で災害が発生していることがTVで放映されていますが

幸い我が家や、家内の実家があるところは被害から免れているようです。

一応点検のために明朝から長野に出掛ける事にしました。

そして問題がなければ、その後は以前から計画していた木曽への一泊旅行をする予定ですので

暫くブログを休ませていただきます。

                   終わり


自分史その1 生まれてから小学校に入るまで ニ 湖柳町時代の3 五部の同級会「いずみ会」の1

2019-10-08 18:22:32 | 工場見学

五部の同級会「いずみ会」

昭和45年(1970)4月19日に、百瀬先生が音頭をとられ「いずみ会」と名付けられた5部の同級会が

東京千代田区の麹町会館で開かれました。

その時の出席者は先生、女子3名、男子6名でしたが、残念ながらその時の写真はありません。

この会を開く意義については、後述する同級生4人の追悼式での先生の追憶・追悼の辞の中に次の様に述べられています。

「年に一回のこのクラス会には、人生におけるこの不思議な巡り合わせを大切に一人でも多く出席して

 若々しい心を呼びさまし、運命的なるものに負けず、心を強くして共に励まし慰めあって

 まっしぐらに人生を生き抜いてもらいたい」

それ以降毎年一度主として東京で、時には諏訪、伊東、山中湖等でも開催されており

平成25年(2013)には、実に42回目の会が開かれましたが、その後は未開催の状態が続いています。

昭和56年(1981)に開催された第12回いずみ会では、同級生の一人藤原君が

名簿とそれ迄のいずみ会の記録を纏めて印刷物として配布してくれましたので

それが大変貴重な資料となっています。 それによる当時の同級生の状況と

平成17年(2005)に小生が調べた結果(括弧内の数値)は下記となっています。

     住所判明者      不 明      死 亡   計

 男   23(17)    14(15)     4(9)  41(41) 

 女   24(15)    12(17)     1(6)  37(38)

 計   47(32)    26(32)     5(15)  78(79)

住所判明者が減り、不明者、死亡者が増えているのは、歳をとって止むを得ないと思っています。

また藤原君が纏めて下さった資料には、先生の「回想の高島校」という歌が5つ載っていました。

その中の二つを次に掲載します。

先ずはいずみ会に関連しての歌

 「辿りし道のそれぞれに 今人生の五十年 時には集い語らいて 若き生命を燃やしつつ 希望の明日を迎えなん」

次は小学校の思いでの歌

「障子の窓の高島に 明るき窓の城南に 思い出つきぬ四星霜 涙の別離遠くして 四十年の夢はるか」

この歌を見て、高島小学校当時の校舎の窓が障子であったことや

五部解散の日には皆が涙したこと等が懐かしく思い出されます。

 

終わり

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ちょっと脱線 日立社友会に出席

2019-10-06 21:25:03 | 

一昨日は日立製作所のOBの会「日立社友クラブ第69回総会並びに懇親会」が

例年通りホテルニューオオタニで開催されましたので出席しました。

総会では、白寿、米寿、喜寿の会員に白寿祝、米寿盃、喜寿祝が贈られる事になっており

小生は米寿盃を贈って下さるという招待状を頂きました。

何時もは会場に行くには、柏駅から千代田線で1時間余かけて赤坂見付まで行き

そこから徒歩で数分かかるのですが、今回は上野駅の公園口にバスが迎えに来て

会場まで,そして帰りも同様にして下さり大変楽で助かりました。

社友クラブの事務局さんは大変ご親切で、事前に当日の会の要領を書かれた書類を送って下さり

そこには受贈者人員、受贈要領、記念写真撮影については、各自が立つ位置を書いた図

総会と懇親会でのテーブル配置図と座る場所等が細々と書いてあり大変当日重宝しました。

 社友クラブの現在の会員数は7,148名です。

そして昨年3月から今年9月までの間での物故者は209名に上っており

今回お会いするのを楽しみにしていた何人かがお亡くなりになっており残念でした。

今年の受贈者は、白寿祝9名(出席者1名)、米寿祝126名(出席者50名)、喜寿祝212名(出席者84名)でした。

先ず理事長、会長、社長も入られた受贈者の記念写真の撮影

次いで行われた総会では、会長、社長のご挨拶と日立の現状説明、現在の役員紹介等が1時間程

その後午餐と懇談会が約1時間半行われました。

社友会での午餐は、一般の社友は自分で選んだ食事を立食ですますのですが

受贈者は指定された座席に座って、運ばれてくる料理をゆっくりと食べさせて頂けました。

米寿の出席者50名は同期生ですから、よくご存じの方が多い筈ですが

小生は途中入社のため、存じ上げている方は僅か4人でした。

更に懇談会で懐かしい人を探したのですが、何と10人強の方が見つかっただけでがっかりで

来年からの出席は止めようと思う程でした。

なお欠席された方達は、当日頂いた冊子に現状を記載していましたので状況が分かりました。

さて記念に頂いた米寿盃ですが、家に帰って実物を見る前は瀬戸物製の盃と思っていたのですが

何と写真でご覧頂ける様な14金で55gの金杯でびっくりしました。

 

  金盃

 

            終わり