末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

花と言葉 その3

2018-08-30 13:27:12 | ブログ
花:キキョウ(桔梗)

秋の七草の1つ青紫色をした星形の花びらがかわいらしいキキョウは、

古くから日本では秋の風物詩として親しまれており、詩歌にも多く取り上げられている植物ですが

現在、野生種のものは減少傾向にあり絶滅危惧種にも指定されているようです。

我が家でも大分前から咲き続けて楽しませてくれています。

我が家の桔梗

花のアップ

キキョウの開花時期は6~9月で6~7月頃が最盛期。青紫色の一重咲きを始め、白やピンクといった花色の二重咲き

八重咲き、椀状咲き、大輪杯状咲き、青紫色の絞り咲き、白と紫の不規則なツートンカラーの咲き分けなど

ユニークな種類も広く出回っているようです。

花言葉は、『永遠の愛』『誠実』『変わらぬ愛』『気品』『清楚』『従順』で

キキョウが恋人のために一生涯、ただただ待ち続けた若い娘であったという物語にちなんで「永遠の愛」「誠実」が

「気品」は、花色の紫がかつて高貴な色とされていたため

そして「変わらぬ愛」は、長く咲き続ける花姿に由来しています。

「清楚」「従順」は、白色のキキョウが、伝統的な日本の女性の魅力を表しているとされていたためにつけられた様です。

言葉

最高の人生を送る8ケ条

いろいろの道

終り



花と言葉 その2

2018-08-27 16:20:18 | 我が家の花
花:赤のペンタス
花壇の薔薇の前で昨日のピンクんのペンタスの横に咲く赤のペンタスです。

赤のペンタス

花のアップ

言葉

目についた言葉から適当に掲載させていただきます。
           
ミニマリストになるための法則

  (あ)熱く語れるモノのみを残す    (い)1年使わなかったモノを捨てる
  
  (う)腕時計や装飾品を身につけない  (え)笑顔で感謝しながら処分する
  
  (お)同じモノを一個所に集める    (か)買い溜めをしない
  
  (き)嫌われても気にしない      (く)空間に余裕を持たせる
  
  (け)計画的に捨てていく       (こ)こだわりを捨てる
  
  (さ)探さなくても良いように配置   (し)自分の価値をモノで伝えない
  
  (す)捨てづらいモノは写真で撮影   (せ)整理整頓の予定を決める
  
  (そ)素材や色を揃える        (た)誰かが来ることを想定する
  
  (ち)小さい家に住む         (つ)使えるかではなく使っているか
  
  (て)定番とおいう枠に囚われない   (と)とっておくべきモノの数を決める
  
  (な)並べ方を統一する        (に)荷物は必要最低限しか持たない
  
  (ぬ)脱いだ服をそのままにしない   (ね)ネットが自分の倉庫と考える
  
  (の)残さずに使い切る        (は)場所を移動しても満足しない
  
  (ひ)1つ買ったら1つ捨てる     (ふ)複数あるものを捨てる
  
  (へ)部屋のテーマを決める      (ほ)欲しいモノを見つけたら保留
  
  (ま)毎日使うモノにはこだわる    (み)未来の感情を予測しない
  
  (む)無理に違う目的で使わない    (め)目に見える場所に常に使うモノを
  
  (も)モノの上にモノを置かない    (や)安いという理由だけで買わない 
  
  (ゆ)床の上には何も置かない     (よ)汚しても良い場所を作る
  
  (ら)ラベルを剥がして使用する    (り)リサイクルを活用する
  
  (る)ルールを決めておく       (れ)レンタルできるモノはレンタル
  
  (ろ)ローテーションで服を着こなす  (わ)忘れていたモノはすぐに捨てる

今日の言葉は断捨離に関係した内容が多く、小生の様なあの世行きが近いものにとっては、

断捨離の実行が大事ですが、やはり今手元にあるものは色々と想い出があり、

(あ)熱く語れるモノのみを残す に該当すると考えてしまい、断捨離が思うようには進みません。

                    終わり


酷暑に閉口。花と言葉

2018-08-26 20:16:05 | 言葉
酷暑に閉口

小生の居間兼寝室は2階にあり、しかも我が家の庭先は一段と低くて

下の家の一階の屋根の高さが庭の高さになているため

夜は殆ど外から吹き込む風で安眠できます。

しかし昨晩は風もなく、一晩中クーラーのお世話になる暑さで閉口しました。

今日も猛暑が続いており、昨晩と同じように一晩中クーラーのお世話にならないと寝られそうにありません。

早く先日の様な秋を感じさせる気温になってもらいたいものですね!

花と言葉

この暑さにも拘わらず、庭の花は元気に咲いており、それを眺めると癒されます。

さらにikukoさんから小生の庭の花を楽しみにしている旨のコメントを頂いたため

また花を掲載さてて頂きます。とは言っても咲いている花の数は少ないので小出しに出すことにします。

話は変わりますが、Pinterest(pinbot@explore.pinterest.com)というサイトがあり

そこには誰の言葉かは分かりませんが、蘊蓄のある言葉が時々載せられています。

その中から小生が興味を持った言葉を保管していますが、それが相当な数になりましたので

皆様のご参考になるかどうかは分かりませんが、少しづつ掲載させて頂きます。




花壇には大分前から赤とピンクのペンタスが植わっており、元気に咲いています。

今日はピンクのペンタスを掲載します。

ピンクのペンタス。赤も少し一緒に生えています

花のアップ

含蓄のある言葉

人生の楽しみ


終り


祖父の事 その2

2018-08-24 11:14:05 | 長野の家
台風お見舞い

台風20号に直撃されて被害が出ていますが、皆様のところは大丈夫でしたか?

被害を受けられた方にはお見舞いを申し上げ、一日も早く復旧されるようお祈りしています。

祖父の事その2

祖父の子供は男性5人と女性2人でした。祖父は子供の教育にも熱心だったようで

以下にその状況と、小生の数少ない「いとこ」についても触れたいと思います。

祖父の子供の写真

手前左から 兄を抱いた小生の母 次女、後列左から四男、長男、次男、五男 長女は写っていません

90年程前の写真です。実は大分前に両親や小生の写真帳の写真を全てHDに分類保管してありますので

必要に応じて簡単に取り出せます。元の写真は廃棄してしまいました。

長男

小生の父である長男は、やはり手元に居てもらう事を考えてか、長野の師範学校を出てたのですが

長野県のあちこちの学校の教師をし、終戦時には諏訪市の諏訪高等女学校の教頭をしていたため

進駐してきた進駐軍から追放命令を受け長野の実家に戻りましたので

祖父の期待した様に祖父の生前に実家にいることは殆どなかった様です。

父は理科の教師をしており、学校の樹木の管理もしていた様で

次の写真は諏訪高等女学校の玄関前で撮ったtemple一家の写真です。

temple家一同諏訪高等女学校玄関前にて

小生が通った旧制諏訪中学校は木造のボロ校舎でしたが、高等女学校は鉄筋コンクリート製の綺麗な校舎でした。

写真の母親に抱かれた妹は小学校に入る前に亡くなったのですが

実は小生と妹と二人で留守番していた時、キャンデーを買い妹に食べさせたことに起因して下痢をし

それが原因で亡くなっったいう痛恨の経験をしています。

亡くなった後家族で般若心経を毎日唱えていたため、今でもほぼ空で唱えられます。

兄も亡くなりましたから、小生までの代でtemple家で残るのは小生唯一人になってしまいました。

次男

次男は早稲田大学を卒業。多分学校友達であったか社会党の浅沼稲次郎さんと交流したりしていましたが

若くして自動車事故で亡くなりましたので、この叔父の記憶は殆どありません。

三男

小さいころ亡くなりました。

四男

法政大学を出て多分長野県の学校で教員をしていた様です。

柔道の先生もしていました。結婚して子供がいなかったので絶えてしまいました。

霧ヶ峰高原へ、叔父叔母夫婦、兄の友人そしてtemple家一同が遊びに行った時の写真が残っています。

霧ヶ峰高原にて

左から叔父夫妻、兄の友人、父親、小生 兄、母親です。

小生いかにも「きかん気」の顔をしていますが、当時は大分いたずら小僧だった様です。

五男

東京農業大学を卒業。長野に何時戻ったかは分かりませんが、結婚した後は叔父、叔母二人とも

教師として長野県の旧制中学や高等女学校に勤めていました。

長野の家のリンゴの剪定をして下さった他、色々と我が家に貢献して下さった有難い叔父で90代まで長生きしました。

叔父には二人の子供があり、弟は小生より一回り年下で、男で生きている唯一人の大事な従弟であり、

現在横浜に住んでいます。奥さんは絵を描いており個展も開くなど活躍しています。

叔母は二人が小さい時にバイヨリンを厳しく教えており、長野の家に遊びに来た時も同様でした。、

そのためか姉は現在長野県松本市でオーケストラの一員として演奏活動を楽しんでいます。

長女

長女は女学校を出て、その後結婚されて長野県の上田市に住んでいました。

子供は男性2人、女性1人の3人で、次男は小生と同じ歳であったので仲のよいいとこでしたが

残念ながら小さい時に亡くなってしまいました。

ここのお宅には小生学生時代の冬には、下宿させて頂いたり大変叔母にはお世話になりました。

叔母は90代まで長生きされました

長男も亡くなっていますが、90歳近い従姉は現在埼玉県の所沢に元気に住んでおられ

時々電話で交流させて頂いている大事な従姉です。

次女

次女の叔母も叔父も割合若い時に亡くなってしまいました。

子供は従妹の一人で、確かtemple家が長野県諏訪市に住んでいた頃諏訪で生まれ

産後に母子がtemple家に暫くいた記憶があります。

数少ないいとこの一人で大事な従妹です。








祖父の事

2018-08-19 20:46:55 | 長野の家
残念な事

先に母屋にあった祖父の資料を取り上げましたが

蔵の1階には色々の農機具や餅つき用の臼が、2階には本棚や大きな長持が2本

また養蚕に使った上下各20畳ある大きな物置にも農機具や本がありましたが

相続税5千万円支払のため、土蔵、物置のあった裏庭150坪と

リンゴ畑100坪を手放なざるをえなくなり、土蔵や物置も壊しました。

残念に思っていることは、蔵や物置の中のものを調べて記念になるようなものを残さずに壊してしまったことです。

壊す前の蔵
壊す前の蔵

物置は土蔵より前に壊したためか、残念ながら物置の写真がみつかりません。

更に前にも書きましたが、新しく建てられた家の為に表庭に2米幅の道路を作る必要が出て表庭も大分狭くなりました。

狭くなった表庭

手放した裏庭には、新しい家が建てられており、お蔭で手入れをする庭の面積も減り大助かりです。

リンゴ畑と裏に建てられた新しい家

リンゴ畑に新しく建てられた家

裏庭に建てられた家

祖父の事

祖父は明治5年生まれで当家では6代目にあたり、小生が小学校の低学年の時に亡くなりました。

大変優しい祖父で、酒も煙草もやらない祖父でした。

そのDNAを父そして小生が受け継いだのか、父は酒と煙草は嗜まず

小生もビールを小さなコップに1杯程度飲むだけで赤くなり煙草も一度も吸っていません。

一方祖父より長生きしていた祖母は酒も煙草も嗜んでいました。

実家がある場所は今は長野市になっていますが、以前は更級郡中津村であり

祖父はその村の村長をしました。そのためか土蔵の2階の本棚には

憲法や政治関連の本もあり、やはり色々と勉強されたのだと感心しました。

今も長野の家の奥座敷に、祖父と曾祖父更にその一代前の3人の顔を描いた掛け軸が飾ってありますが、

小生その祖父に大分似てきた様です。

奥座敷に掛けられた3代の顔が描かれた軸

見にくくなりますが、人物部分を切り出してみました。

人物部分

終り