末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

鎌倉散策 その4

2018-07-18 14:10:34 | 趣味
お神輿

拝殿から別の部屋に移る途中、本宮の廻廊に安置された立派なお神輿7体が並んでいるのが

目につきましたので右側から撮りました。


お神輿1

お神輿2

この7基の神輿は県の指定文化財となっています。そのうち3基は本宮神輿、4基は若宮神輿です。、

江戸時代の初期1625年前後に造られたと考えられるこれらの神輿は

本宮などが消失した1821年の火災の時も、廻廊裏から持ち出されて無事だったそうです。

3基の本宮神輿は、それぞれ本宮のご祭神である

応神天皇(おうじんてんのう)、比売神(ひめがみ)、神功皇后(じんぐうこうごう)を乗せ

9月15日の神幸祭の際、行列を作って本宮と若宮大路にあるニノ鳥居との間を往復する様です。

お祭りの写真を拝見すると左側の黒いお神輿がお祭りに使用されています。

担がれているお神輿(借用写真)


斎館にて
お抹茶をご馳走になりながら宮司さんからお話を伺いました。

宮司さんからお話を伺っている所

庭から見たお話を伺った部屋(借用写真)

ご馳走になったお抹茶

ご馳走になったお抹茶

斎館庭の景色

素敵なお庭が拝見出来ました。

中庭のモミジ

庭の景色1

庭の景色2
 

庭の景色3

立派なソファーに座って皆さんとの記念写真

記念写真

Kさんのお蔭で立派な斎館を訪れご馳走になったりと

素敵な仲間と一緒に楽しい鎌倉散策が出来て感謝している所です。

         鎌倉散策 終わり

月1度の定期診察と年1度の健康診断結果

2018-07-17 20:39:54 | 
連日の猛暑への対応は大変ですが、被災地で猛暑の中再建のため頑張っておられる被災者の皆さん

そして活躍されている多くのボランティアの皆さんを思うと、とても愚痴ってはいられない思いです。

一日も早く復興できることをお祈りしています。


昨晩冷房を消してから戸を閉めたまま寝てしまい、家内が朝の2時頃来て戸を開けて水を飲ませてくれたので

危うく熱中症になるのを防ぐことが出来ました。熱中症で亡くなられる方も出ており

この猛暑では対策を十分にとることが必要ですね。


今日は月一度の診察を受ける事とお薬を頂くために近所のクリニックに出掛けました。

同時に前回行った年一度の75歳以上の健康診断結果を伺う事も出来ました。

先ず先生が言われた「腎臓が悪いですね」でドキッとしましたが

次の言葉の「それでも100歳までは大丈夫ですよ」でホットしました。

「歩いて下さい」とおっしゃった他は特に何も言われませんでしたので

家に帰って頂いた健康診断受診結果記録の書類を調べると

1 コレステロール値が基準値より高く、更に昨年の値より高くなっている。

2 既に薬を飲んで対応している血圧は、未だ基準値より高が、昨年よりは低くなった。

3 それ以外の項目は、全て問題のない数値内に治まっている。

ということが分かり一応ホットしました。

コレステロール対策としては、現在野菜を沢山食べたり、サプリメントも飲んでいますから

来年の検査までには、何とか正常値まで減らしたいと思っています。


来年1月末には末期高齢者の87歳とになり、男子の生存率は40%ですから

度々書いているように位牌や遺影も作成済で、何時お迎えがきても良い様に準備はしていますが

自分の足で自由に歩ける間は、やはり生き続けて人生を楽しみたい思いです。

幸い長寿県長野県での小生の幼友達の生存率は60%台と高いのも嬉しいことです。


このブログで皆さんと交流させて頂いて楽しんでいるのも長生きの一因であり

引き続きご厚誼を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

              終わり

鎌倉散策 その3

2018-07-16 16:00:24 | 趣味
鎌倉散策途切れてしまいましたが、続きを掲載させて頂きます。

本宮参拝



手水鉢
書き順が逆になりましたが、銀杏の手前に手水鉢がありますので、そこで口と手を清めました。

手水鉢に集まるお仲間達

この手水鉢は、当時の造営奉行松平備前守隆綱が奉納したこの時代の石造物で

備前犬島から運搬されたものといわれています。


手水鉢

松平備前守隆綱は、犬島産の石でも特に巨岩を選び、鳥居に先だってこの手水鉢を寄進したそうです。

高さ93センチ、上面でおよそ縦199×横102センチもある花崗岩で、

脚部が別材に見えますが1つの岩から彫り出されています。

簡素なつくりながら重厚さをもった江戸時代初期の優品です。


本宮

朱塗りの本宮は綺麗で立派です。

本宮

通常ですと賽銭箱の前でお参りしますが

今回は上の写真の右側から拝殿の中に上り、そこでお清めの儀をして頂いた後参拝しました。

その後斎館にご案内頂き、お抹茶をご馳走になりましたのでそれに関連した事を書かせて頂きます。


斎館

正面から見た斎館(借用写真)

斎館ですが、鶴が丘八幡宮のホームページによると

「献幣使をお迎えしたり、国の内外からの賓客をお持て成しする書院造りの休憩処です」とあり

更に例祭(9月14~16日)の前、神職の方々が数日間 ”こもる”神聖な場所であり

また平成21年に天皇皇后陛下も葉山御用邸からの帰りにお立ち寄りになり休憩された」とのことですから

普通我々は入れない場所と思っていました。

「斎館抹茶お休み処」の看板

然し上記の様な看板も出されており

誰でも入れる場所の様ですが、入り口を見ると、ちょっと気軽には入れそうにもない場所です。

斎館入り口(借用写真)

今回は宮司さんのご案内で入った上、抹茶をご馳走になりました。

斎館に入るお仲間達

建物が立派でしたから、先ずその様子をご紹介します。

入り口天井を見上げると、凝った天井の造りと立派な電燈が目につきます。

入り口天井

入り口の直ぐ横には、武士の木像があります。

武士の木像

菜館の部屋に入りますと、中央の床の間の立派な孔雀の壁画が目につきます。

孔雀の壁画が目につくお部屋

これは画家千波氏の作品です。

孔雀の壁画

そして立派なソファーが4ケ置いてあります。

ソファー

天皇皇后陛下もこのソファーにお座りになったのではと思いました。

実は小生もここに座りましたから、罰が当たるか心配でしたがそんなことはなく済みました。

小組格天井

天井は入り口で見た、天井の格子間の四角の中にさらに格子模様を装飾した

多分「小組(こぐみ)格天井」と呼ばれるものだと思います。

天井と照明

小組格天井は制作に時間と繊細な作業が要求されるため、格天井より格式が高く

大寺院や身分の高い公家、大名クラスの建築にほぼ限られていた様です。

       その3終わり







散歩で失敗

2018-07-12 21:23:28 | 
このところ暑さの為に散歩をしていなかったので

一昨日久し振りに30分の散歩をしました。

すると昨日は、何時もでもある程度痛い右膝内側の痛みが酷くなり

家の中を歩くのにも大変な状況。

今日は少し痛みも治まったので、病院に行き診察を受け

湿布剤と痛み止め、胃薬を処方して頂いたので、それを貼ったり服用した結果

お陰様で今は大分痛みも小さくなってホットしています。

診察に1時間。薬局で30分と、何時もの様に待たされたのには閉口しました。

終末期になっている老人は、日々の行動を相当注意しなければならない事を痛感しています。

鎌倉散策 その2

2018-07-08 19:21:44 | 散策
今回の大雨では、死者・行方不明者の合計が百人を超える大惨事が起きており

被災地の皆さんは大変なご苦労をされておられると思いますが

頑張って頂き、一日も早く復旧されるようお祈りしています。

このブログでお付き合いさせて頂いている四国にお住まいの

ベルさん、三面相さんのお二人も大変だった様ですが、大きな被害は無かった様でホットしています。

前回に続く三の鳥居以降を掲載させて頂きます。

八幡宮案内図


太鼓橋

太鼓橋

三ノ鳥居をくぐってすぐのところにある源氏池と平家池の間にかかっているのが太鼓橋です。

太鼓橋は、虹に似せたとも言われる30度もの急な勾配がついており、

1668年に建立されたもともとの橋は木造・朱塗りだったので、赤橋と呼ばれ、

将軍家が参拝する際には、この橋で輿から降りたという事です。

源平池と同時に建造されましたが、1923年の関東大震災で全壊し、鉄筋コンクリートなどを使って再建されました。

自由に通行できていた時代もありましたが、今は封鎖されています。

太鼓橋と左右の橋(借り物写真)

太鼓橋の左右にも橋がかかっていますが、当初は「平家を踏み潰す」という意味を込めて

平家池側のみに橋をかけたのだと言われています。

源平池

太鼓橋の左右には赤橋を挟んで東西に源平池があります。

源平池(借り物写真)

源平池と呼ばれるようになったのは、江戸時代になってからのことで、

この池は1182年に境内にあった「絃巻田」(つるまきだ)という水田の耕作を止め、造られたものの様です。

右側の源氏池には白い蓮と三つの島を造り、「三」から源氏の発展を願う「産」を連想させるようにし、

左側の平家池には四つの池と赤い蓮をから、「四」から平家の滅亡を願う「死」を連想させるようにさせたということです。

昔は源氏池には源氏の白旗にちなんだ「白蓮」が、

平家池には平家の赤旗にちなんだ「紅蓮」がそれぞれ咲いていたようですが、今日では紅白咲き乱れとなっています。

紅白乱れ咲く蓮の花(借り物写真)

太鼓橋のほとりの石碑には、「1182四月、源頼朝の命令に

専光坊ならびに大庭平太景義らを奉行にして境内に池を掘らせたことが吾妻鏡に見える。

一説に(頼朝の)夫人の政子が源氏の興隆を祈ってこの池を作らせ

東池には白い蓮、西には紅色の蓮を植え、源平の旗色を表したと伝えられ、源平池の名前がある」と書かれているようです。

実はこの池についての上述の事は、散策当日は全く知らなかったため、池の写真も撮らずに終わっており残念です。

大銀杏

参道を進み本宮に上る石段の横に、有名な大銀杏がありました。

以前の大銀杏(借用写真)

大銀杏は、鶴岡八幡宮の創建当初から多くの参拝者を見守り続けてきたご神木ですが

2010年3月、暴風により倒れてしまいました。

大銀杏の後の現在の状況

大銀杏がもともとあった場所には根の部分が残され

倒伏からおよそ1か月後には、早くも新芽が次々と出てきており

剪定しながら、状態の良いものを選んで後継樹として育てられており

それらの銀杏は「子銀杏」と呼んでいます。

根元から4mの高さで切断された幹部分は、もともと植わっていた場所から7mほど離れた位置へ移植され、

根付かせる取り組みが行われており、「親銀杏」と呼ばれています。

親銀杏

なお期間限定で境内に設けられた「芽吹きを祈る記帳所」には、

ヶ月半の間に6万人を超える記帳が寄せられたそうです。

また倒れた2010年の秋には、大銀杏の細い枝を数センチにカットし、薄手のビニールで包んだお守りが、

1万体限定で「木霊(こだま)」として授与されたそうです。

終り