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末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

化学プラント事業部での仕事 その3 ヘリューム冷凍機調査に米国とドイツへ出張 その1プロローグ

2017-10-05 21:26:04 | 海外旅行
プロローグ

従来の鉄道のように車輪とレールとの摩擦を利用して走行するのではなく

車両に搭載した超電導磁石と地上に取り付けられたコイルとの間の磁力によって

非接触で速度500km/h以上の高速走行を可能とする超電導磁気浮上式鉄道(超電導リニア)が

宮崎実験線や山梨実験線等での走行試験が行われています。

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山梨実験線を走行する超電導リニア

更に2014年には、東京~大阪間が約1時間で結ばれる中央新幹線の東京 - 名古屋間の路線起工式が行われたことは

ご存知の方も多いのではと思いますし、中には実験線に試乗された方もおられるかもしれません。

実はこの超電導リニアの研究は、日本では鉄道総合技術研究所を中心に1963年に始まっているのですから

この種の大型システムが実用化されるまでには大変な年月がかかることが分かります。

1972年初めて浮上に成功した実験装置

超電導リニアについてご興味のある方は、比較的分かり易く詳細に説明している

財団法人 国際超電導産業技術研究センタが2011年 2 月 1 日発行した

「超電導 Web21」(http://www.istec.or.jp/web21/series/series2011-2.pdf)をご覧いただくとよいと思います。

実はこの研究が始まった1963年頃、小生の関係する工場が超電導リニアーに不可欠なヘリューム冷凍装置を製造していたため

超電導リニアー向けのヘリューム冷凍装置とはどういうものが適当かを調査するため

当時の工場の設計部長さんと一緒に、米国、ドイツに出かけました。

ただ当時のことは大分忘れてしまったのですが、その時の思い出を次回から書かせて頂きます。

                                        終わり

サンアントーニオその2と飾り棚4段目の2

2016-07-17 16:14:36 | 海外旅行
サンアントーニオの景色

前回に続いてサンアントーニオの写真を掲載させて頂きます。

歴史を感じさせる景色

何の建物か分かりませんが歴史を感じる建物

何の標識か説明板がありませんでした

標識の前でお仲間の写真を撮るktemple
 
ふと紛れ込んだ家の中でぱったり遭った珍しい鳥

紛れ込んだ家

そこでぱったり遭った珍しい鳥

飾り棚4段目の2

飾り棚4段目の2として少し紹介させて頂きます。

思い出の陶器製ビアジョッキ

陶器製ビアジョッキ

最後に勤めた研究財団では、発足時から神戸市さんと共催で国際シンポジウムを神戸市で開催しており

小生その担当であったため、シンポジウムで講演をして頂いた多くの外国人講師と親しくなることが出来ました。

そのお一人がドイツニュールンベルグ市水道局長さんです。

このビアジョッキは局長さんからプレゼントされたものです。

NURNBERGの文字が刻印されています

なお外国人講師を京都にご案内した時、この局長さんが御朱印帖を利用されており

実は恥ずかしい事にそれまで小生御朱印帖を持っていなかったので、

その時を契機に御朱印を集める様になりました。





ワシントン ポトマック湖畔の桜

2012-07-14 19:58:35 | 海外旅行
ポトマック湖畔から眺めたジェファーソン記念塔

gettengさんのブログ http://oirushock.exblog.jp/d2012-07-13/ の

米国女性紀行作家エリザ・シドモア「不朽の島」展を紹介された記事の中に

「彼女が我が国から米国への桜の寄贈に尽力し

ワシントン・ポトマック川沿いの桜並木を実現したことで知られる。」とあり

小生コメントに、ポトマックの桜は満開の時に訪れた事がある旨書いた所

gettengさんより「その写真を掲載しては」とのお勧めがあったので

季節はずれの写真ですが、掲載させていただきます。


訪問した日に大事件発生

米国の石炭液化・ガス化技術を調査に米国に出張し

ワシントンの米国エネルギー庁を訪問してお話を伺っていました。

途中廊下が馬鹿に騒々しくなったので、エネルギー庁の方が調べると

なんと「レーガンが撃たれた」との事でびっくりしました。

それは1981年3月30日で、その日ホテルで買った新聞には

撃たれたレーガンが助けられている生々しい写真がでており

日本に持ち帰り何年か保存していましたが、今は整理してしまいました。

ポトマック湖畔の桜を背景に若き日のktemple


ワシントン記念塔

ローマ その11 コロセウムの3

2012-07-01 15:52:24 | 海外旅行

少し空いてしまいましたが、コロセウムの続きを掲載します。

なお説明や写真は多くの海外サイトのものを利用させていただきました。

北から南側をコロスウム


アリーナ(中央競技場)とその地下室

アリーナの剣闘の様子を描いた絵


長さ83米、幅48米のアリーナは、砂で覆われた木製床でできており

その下にはHypogeumと呼ばれた複雑な地下室がありました。

砂は転倒の影響を弱わめたり、血を吸収するためにばらまかれていました。

現在木の床は残っていませんが、地下室は残っており

2010年8月からは、地下部分の復元工事の結果

観光客が地下に部分に入場できるようになっている様です。

西側から見たアリーナ地下


地下室の概要

地下室は2層のトンネルからなり

そこには剣闘士や動物達が公演の始まる前に待機していた部屋や

動物達の32ケの檻がありました。

地下室の様子

 
ライオン、虎、水牛、象、カモシカ、ダチョウ、その他の動物は

地下トンネルを通って外の施設から持ち込まれ檻に入れられました。

迷路のような通路には、象などが自由に動き回れるほど

広大なスペースがあった様です。

上からみた中央通路


中から見た中央通路

アリーナの仕掛け

地下室には、地下の檻に入れられた動物をショーの際にアリーナに放すためや

剣闘士、ショーに使う舞台装置等をアリーナの床上に運ぶための

80本のエレベーターや滑車等数多くの機械もあり

実際大きな油圧装置があった証拠も在るようです。

ショーの際には、80台のエレベータにより

あたかもマジックによって現われた様に

アリーナの色々の場所に、人、動物、その他が吊り上げられました。

そのほかにも特殊効果を出す36のトラップドアーが設けられていました。

改めて古代ローマ人の技術の高さに驚かされます。

連絡トンネル

地下室は地下トンネルによってコロシアムの外の

いくつかの施設に接続していました。

剣闘士や動物達は、群衆の中を通ることなくトンネルを通って

外の施設からコロシアムに出入りすることができました。

また皇帝と修道女が群集の間を通ることなく出入り出来る様に

用意されていたトンネルもありました。

ローマ その10 コロセウムの2

2012-06-25 19:41:27 | 海外旅行

コロセウムの構造

概 要

コロセウムは山腹に組み入れられた初期のギリシアの円形競技場と違って

完全な自立式建造物です。

コロセウム復元模型


コロセウムの現状

外壁は楕円形で、長径189米、短径156米、底面積は24,000平方米

外壁の高さは48米、 周囲の長さは545米でした。

中に造られている円形中央闘技場(アリーナ)は

長さ87m、幅55mの卵形で、高さ5mの壁に囲まれており

その上に観客席が造られていました。

しかし、何世紀かにわたる地震で崩れ、大きく損傷してしまいました。

現在円形の外壁として残っているものは内壁で

北側にのみ外壁が残っています。


内外壁の現状


残された北側外壁

上の写真の様に残っている堂々たる外壁部分は

石造りの土台の上に載った三階からなるアーケードからできており

その上には背の高い装飾的な壁(attic)になっています。

いずれにも定間隔におかれた窓が開けられています。

アーケードは古代ローマ建築様式のトスカナ様式、イオニア様式

コリント様式の半円形柱によって作られています。

一例としてアカンサスの葉を飾った華麗な柱頭が特色なコリント様式の柱

そして、2,3階の回廊のアーチには古代神話の神々や

その他の像が飾られていました。

外壁西側の切れ目と内壁


観客席

身分階層の厳しかったローマ社会を反映して、観客席は身分階層別に造られていました。


座席横断面図

上記を少し図形化したもの


同上

皇帝と修道女(Vestal Virgins)のための特別席として

一番下のアリーナが最も良く見える南北端に夫々用意されました。

それらの横には、元老院達の幅広い観客席があり

そこでは自身の椅子を持ちこむことも出来ました。

元老院席の上の段には、元老院でない貴族階級や騎士の席がありました。

その上が一般市民席で、二つの部分に分かれており、

下の部分は富裕階級の市民の席、上の部分は普通市民の席でした。

そして最上部に、貧しい者、女性、奴隷のための立ち見の場所と

急傾斜の木の椅子がありました。

天井部分は開放されているために、日除け用の布を張る設備がありましたが

皇帝席には一日中直射日光が当たらないように設計されており

また一般の観客席についても一日に20分以上日光が当たらないように

工夫がなされていました。


大収容力への対応

大きな収容能力があるため、早く席についたり、退場できることが重要でした。

1階には、80の出入り口が円周上に配置され

席がある3つの階への独立した出入り口となっていました。

そのうちの76ケは一般の観客用で

夫々の出入り口には夫々の階段の番号がつけられていました。

残り4つのうち、北の主入り口は皇帝とその側近により

後の中央にある3は上流社会の人々により利用されました。

各々の席には番号がつけられており、

各自の身分、番号等からその席を正確に指定できました。

観衆は入り口で階段番号や座席番号のついた陶器破片のチケットをもらい

出入り口から座席の列に通じている独立の通路を通って

座席に行く事ができました。

これにより、イベントが終った時や緊急避難において

2、3分以内に観客は出る事ができました。