末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

塔のへつり

2014-10-29 13:45:17 | 景色
大内宿見物の後は近くの「塔のへつり」を見学しました。

塔のへっつり」について

「へつり」とは会津方言で、川に迫った険しい断崖のことです。

「塔のへっつり」は南会津東部を流れる大川が形成する渓谷で大川羽鳥県立自然公園の一角を占めています。

百万年の歳月をかけて、浸食と風化を繰り返しつくられた河食地形の奇形を呈する特殊例として、

1943年国の天然記念物に指定されました。

一帯は第三系凝灰岩、凝灰角礫岩、頁岩などが互い違いになっており、

その軟岩部が長年の歳月による侵食と風化の作用によって形成された柱状の断崖です。

全長200mにわたって大規模な奇岩が整列しています。

塔のへっつりの奇岩群の名前

主なものには上図に示す様に屏風岩、烏帽子岩、護摩塔岩、九輪塔岩、櫓塔岩、獅子塔岩、鷲塔岩などがあり、

これらの岩を巡るように通路が彫られていますが、経年による崩落等のため、

吊橋を渡している舞台岩周辺以外は立ち入り禁止となっています。

塔のへっつり」での悲劇

実は先ず売店近くの見物場所から写真を撮りだそうとしたのですが、何と電池が直ぐ切れそうの表示。

通常は予備の電池を携帯しているのですが、この日は忘れて持ってきていませんでした。

幸い充電器を持っていましたので、売店にお願いして充電をしました。

充電させて頂いた土産物店

このため、お仲間は皆さん吊り橋を渡って岩の近くまで行かれたのですが

小生はとうとう行かずじまいになってしまい残念でした。

奇岩の下に渡る橋のお仲間達

充電させて頂くお礼に、9百円の煮豆の袋2ケを購入したのですが

家に帰って家内に見せると、「こんな豆は半額以下で売っている」と言われてがっくり。

それでも食べて味が良かったのが救いでした。

塔のへっつりの写真

上述したような状況で、売店の前の展望台の上からだけで撮った写真です。

一応向かって左から撮していますが、写真に付けた岩の名前は正確ではありませんのでご容赦を。

左端の奇岩。右から護摩塔岩、烏帽子岩は草の中。そして屏風岩

護摩塔岩と橋

象塔岩、九輪塔岩 楼塔岩他

右橋の九輪塔岩 楼塔岩 鷲塔岩など

お店に並んでいた獅子頭と赤べこ

獅子頭

並んだ赤べこ

普通の赤べこ

お洒落の赤べこ

さて明日はバスツアーで、富岡製糸場他の見学、31日午後からは家内の母親が退院するため長野に出掛けますので

暫くブログは休ませて頂きますのでよろしくお願いします。







プ開会報告 その3 大内宿の3 箸代わりにネギで食べた蕎麦

2014-10-26 19:57:47 | 景色
今日はその1で触れた「箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる風習」を味わった昼食と

昼食を食べたお店の部屋の中の様子をご紹介します。

第1回にお店の名前を書いた町並み図を掲載しましたが

今回入った蕎麦屋さんの名前はついうっかり覚えないままで終わってしまいました。

実はこのお店で蕎麦を食べることは町並みの見物の途中で決め

その目印として次の写真の様に、前の小川に色々の物を冷やしている家という事で名前でなかったからです。

目印の小川の中の冷やし物

ネギを用いて食べる蕎麦

蕎麦を食べるお仲間の様子を写真に撮ったのですが、顔が写っているのでトリミングしました。

皆さん箸の代わりにネギを持っています

>
Nさんがネギをお蕎麦の中に入れようとしている所。ネギは囓った痕が

ネギを箸代わりに本当にお蕎麦が食べられるのかと最初は思いましたが

実際にやってみるとそれ程難しくなく、またネギも時々囓りながら蕎麦を食べるのもなかなか乙の味でした。

またこのネギが美味しいので、女性の皆さんお土産にネギを買われました。

お蕎麦屋さんの家の中の様子

色々飾られた神棚


このお店の部屋にはびっくりするほどの大きな神棚がありました。

色々の神様が祀られた長い神棚。実はこの左にも立派な神棚があります

上の神棚の左にある神棚と恵比寿天・大黒天の面

上の神棚の中に祀られて2神

恵比寿天と大黒天

天狗の面

食事をした部屋と勝手部屋には立派な天狗の面が

食事をした部屋に飾られた天狗

勝手に飾られた天狗はやはり黒光り

座敷の床の間

しっかりした床の間にも色々の物を陳列











会社時代の仲間の会と「菱田春草」展

2014-10-25 19:04:20 | 展覧会
一昨日は定例の会社時代の仲間の会に出席後、比較的会場に近い所にある

国立近代美術館で開催中の菱田春草展を観てきました。

仲間の会TT会

前にも書いたかもしれませんがこの会は、現役時代会社で化学プラント事業部に在籍していた

一部の部課長仲間の会で、お二人の同姓の先輩の名前の頭文字をとってTT会と名付けられています。

小生は途中からの参加ですが、当初の20名近かった会は、

会の名前のお二人のTさんはじめ、何人かは既にお亡くなりになり、

今は70代の若い方3人が加わって10余人ほどの会になっています。

一昨日は70代2人、80代5人の7人で昼食をた食べながら1時間半ほど昔話を中心に語り合いました。

皆さんが元気なのが嬉しい事です。

菱田春草展

菱田春草展が開催されている東京国立近代美術館は都合のよい事に

TT会の会場から電車で一駅の場所にあります。

春草(1874-1911)の絵は大好きであり、しかも小生の故郷長野県の出身。

36歳の若さで亡くなっていますが、重要文化財の指定を受けている絵が4点もあるだけに

ファンも多く当日も相当混雑していました。

展覧会は前期、後期と分かれた展示で、今回は後期のため約80点余りと

予想以上に沢山の絵を見ることが出来大満足でした。

春草の事や、本展覧会についての詳細は下記をご覧になって下さい。

ウイキペディア 菱田 春草 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%B1%E7%94%B0%E6%98%A5%E8%8D%89

展覧会の紹介 東京国立近代美術館 http://www.momat.go.jp/Honkan/honkan.htmlの菱田春草展

皆さんも現物でなくても何かでご覧になっておられる重要文化財4点の写真を掲載しました。

黒き猫

近代日本画の中で最も有名な猫の絵です。

なお今回の展覧会では、黒猫4点白猫3点の猫の絵が展示されました.

黒き猫

上の絵の猫のアップ

確かな写生に基づく猫と、装飾に徹した柏の葉の取り合わせが絶妙に調和した作品で大好評を博し、

春草のもとには黒猫図の依頼が殺到したとの事です

王昭君

王昭君

中国前漢の元帝の時代、きょう奴の王へ後宮から女性を差し出すにあたり

最も醜い者を肖像画で選ぶこととなりました。選ばれたのは絵師に賄賂を贈らなかった美しい王昭君。

元帝は驚いて策を講じようとしたが時既に遅く王昭君は敵国に嫁すことになります。

その高潔な美女を送り出す別れの場面を描いています。一人離れて左に立つ女性が王昭君。

賢首菩薩

賢首菩薩

賢首菩薩とは華厳宗の第三祖となった人物。中国唐の則天武后の勅問に対し、

黄金の獅子像をたとえに華厳の教えを述べた場面を描いたもの。

落葉

6曲1双のもの2双

落葉その1

上の絵の右下の鳥を拡大

落葉その2

静けさに満ちた木立の中の落ち葉の上に降りた2羽のヒガラが微かな音を響かせています。

雑木林をやや俯瞰から眺めた構図で、根本しか見えない木々は奥へ行くほどに淡くコントラストを減じ、

地面に降り積もった落ち葉ととともに背後の地に溶け込んでゆき、独特の夢幻的な広がりをもたらしています。

















プ開会報告 その2 大内宿の2 お店と店に並ぶ品々

2014-10-21 14:35:45 | 旅行
今回は大内宿のお店とお店に並ぶ品々の写真を掲載させて頂きます。

お店の様子

お店

お仲間達が覗く竹細工のお店。竹細工製品もあちこちで見られました。

下駄もあるお店。下駄もあちこちで見られました

色々の人形を売るお店

お店に並ぶ品々

人 形

赤べこ

会津地方の特産玩具がやはりあちらこちらで目につきました。

赤ベコさんにもお洒落なものもあります

赤ベコ。上段にはお洒落な赤ベコも

炭の人形

ちょっと珍しい炭で作られた人形達です

炭の人形達

藁細

立派な藁細工もありました

民家。2万円。お値段も結構しています

宝船

沢山の藁草履

その他

ふくろう彫刻他

少し変わった人形や雑貨

おまけ

こんな「長寿の心得」を書いたものが飾ってありました。

傘寿をとうにすぎた小生ですが、傘寿の時に「まだまだ役立つ」と言える自信はなかった情けない爺さんです。





プ開会報告 その1大内宿の1

2014-10-19 19:54:40 | 景色
長野から戻りましたので、8日9日の二日間に行われた楽しいプ開会の旅行の写真を順次掲載させて頂きます。

コース

初 日  大内宿見学ー大内宿で昼食ー塔のへっつり見学ー母畑温泉八幡屋宿泊

翌 日  袋田の滝見学ー阿字ヶ浦で昼食ー茨城海浜公園見学

今回は車での旅

今回は都内に住むOさん(女性)の車(運転はTさん(男性))に5人と、Kさん(男性)の車に4人乗せて頂き

運転の巧みなkさん、Tさんのお陰で、車で楽に長距離を巡る旅が出来ました。

小生はKさんの車に柏で拾って頂きましたが、多分600キロを遙かに超す旅をしました。

Oさん車

Kさん車

大内宿

概 要

福島県南会津郡下郷町大字大内にある旧宿場で、全長約450mの街道の両側に、

道に妻を向けた茅葺き寄棟造(最上部に大棟をもち、長方形の平面である屋根)の民家が整然と建ち並んでおり、

重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。

山の上から眺めた大内宿

民宿や土産物屋、蕎麦屋などが多数立ち並び、特に蕎麦に関しては、高遠そばの名で知られており、

箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる風習もあります。

大内宿本陣跡には復元した宿駅時代の本陣があり、

町並み展示館として当時の風習を伝える写真や生活用具を展示しています。

歴 史

大内宿は、会津城下と下野の国(日光今市)を結ぶ32里の区間の中で会津から2番目の宿駅として

1640年ごろに整備された宿場町で、会津藩主の江戸参勤や江戸廻米の輸送、

会津藩と友好関係にあった米沢藩・新発田藩なども頻繁に利用した重要路線でした。

(その後の歴史を紹介すると非常に長くなるため、ご興味の有る方は次をご覧になって下さい。

ウイキペディアの大内宿 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E5%AE%BF

歴史を調べると現在の姿になるまでには紆余曲折がありました。)

会津藩の参勤交代はその後途絶えたりで、大内宿は純粋な宿場町ではなく「半農半宿」の様相となり、

さらに近くに新街道ができて賑わいを失って行きました。

更に下って1800年代の終わり近くになって付近に鉄道が開通すると、

会津と関東との間の物流はここを通らなくなり

大内宿の宿駅としての地位は完全に失われました。

更に1970年代には住民は生活の近代化を望んで旧街道が舗装されたり

茅葺屋根をトタン屋根に葺き替えたりしました。

1981年旧宿場として妻籠宿および奈良井宿に続いて全国で3番目の国の

重要伝統的建造物群保存地区として選定されると

「大内宿保存会」が設立されて住民による町並み保存活動が始まり

「大内宿を守る住民憲章」も制定されました。

1982年から1988年にかけて旧宿場に沿って道路の新設が行われ

1989年から電柱・電話柱・テレビ共同受信柱等は新設道路に移設し、

「裏配線」により旧街道の無電柱化を実現したり、

旧街道のアスファルト舗装を撤去して土の道が復元されました。

さらに1996年には「日本の音風景100選」に選定された事もあり、

住民による茅葺屋根の復元や葺き替え技術の伝承が開始されました。

現在通年を通し約120万人の観光客が訪れるようになり

今は殆どの家でお土産店または蕎麦屋等の店へと変わり、農業から観光産業へと完全に切り替わりました。

町並みの景色

先ず町並みに並ぶお店を紹介する図を掲載します。

町並みの家は全てお店でその名前

通りを歩きながらの両側の景色です。

左側に並ぶ家

お店の一例。お店についてはまた別に掲載します

道路の両側には冷たい綺麗な水が流れる小川があり、店の前にはお休み場所が

道路の右側の家並と懐かしい火災合図の半鐘

パンパスグラスを見る人達

やっと見つけた秋景色

一番奥の町並み。最初の写真は奥の山の中腹で撮ったもの