ノートルダム教会
ノートルダム(聖母)教会 Onze-Lieve-Vrouwekerk
13世紀から15世紀に建てられたブルージュを代表する教会で
レンガ造りの高さ122mの塔は、ブルージュのシンボルの一つとなっています。
ここには、イタリア以外の地で見れるのは珍しいミケランジェロの作品
白大理石でできた「聖母子像」や
「キリスト受難の図」を描いたファン・アイクの絵等があることで有名です。
大きな3つ折の絵画キリスト受難の図(借物写真)
後述「優雅な白鳥」で触れる美女として名高い「ブルゴーニュのマリー」の棺が
父ブルゴーニュ公の棺と並んで安置されています。
レンガ造りの高さ122mの塔は、ブルージュのシンボルの一つとなっています。
教会の塔。左の建物は1727年の建造で当時の裁判所。
サン・ボニファース橋と裁判所
教会内部(借物写真)
ここには、イタリア以外の地で見れるのは珍しいミケランジェロの作品
白大理石でできた「聖母子像」や
「キリスト受難の図」を描いたファン・アイクの絵等があることで有名です。
中央が聖母子像(借物写真)
拡大聖母子像(借物写真)
大きな3つ折の絵画キリスト受難の図(借物写真)
後述「優雅な白鳥」で触れる美女として名高い「ブルゴーニュのマリー」の棺が
父ブルゴーニュ公の棺と並んで安置されています。
マリーと父の棺(借物写真)
優雅な白鳥に纏わる伝説
愛の泉に遊ぶ白鳥のイメージをちょっぴり壊しかねない伝説があります。
市民に圧倒的な人気を得ていた当地の支配者
ブルゴーニュ公爵家の娘マリーが夭折した後
その夫であったハプスブルク家の皇帝マクシミリアンが
その後継者の座につきました。
もともとよそ者の彼はあまり市民に人望がなく
更にブルージュを神聖ローマ帝国に無理に組み入れようとしたことが
市民の反発を買いました。
そして1448年、市民たちはマクシミリアンを幽閉し
彼の臣下ランシャルを処刑してしまいます。
その後権力を取り戻したマクシミリアンは
ブルージュ市民に対する罰として、彼らが行った罪を永遠に忘れさせないようにと
臣下ランシャルの家紋であった白鳥を、住民達が永遠に飼うように命じて
湖にたくさん放ったのでした。
こうして今でもブルージュの町には白鳥たちが泳いでいるのだと伝説は伝えます。
なかなか粋な罰ですね。
市民に圧倒的な人気を得ていた当地の支配者
ブルゴーニュ公爵家の娘マリーが夭折した後
その夫であったハプスブルク家の皇帝マクシミリアンが
その後継者の座につきました。
もともとよそ者の彼はあまり市民に人望がなく
更にブルージュを神聖ローマ帝国に無理に組み入れようとしたことが
市民の反発を買いました。
そして1448年、市民たちはマクシミリアンを幽閉し
彼の臣下ランシャルを処刑してしまいます。
その後権力を取り戻したマクシミリアンは
ブルージュ市民に対する罰として、彼らが行った罪を永遠に忘れさせないようにと
臣下ランシャルの家紋であった白鳥を、住民達が永遠に飼うように命じて
湖にたくさん放ったのでした。
こうして今でもブルージュの町には白鳥たちが泳いでいるのだと伝説は伝えます。
なかなか粋な罰ですね。
愛の湖公園
愛の湖
右の建物は16世紀に立てられた水門の家で、左に見えるのがノートルダム教会
右の建物は16世紀に立てられた水門の家で、左に見えるのがノートルダム教会
純白の白鳥たちがゆったりと羽を休め
木々や歴史的建造物の影を映すロマンティックなこの湖は
恋人たちにとっては絶好のデートスポットです。
この愛の湖という名前にはいわれがあるようです。
ここはかって、水上輸送の波止場として使われていましたが
運河と水門で仕切られて湖となりました。
そして水位を一定のレベルに保つために、湖が水貯水池として使われました。
現地語でMinnewaterと呼ばれていますが
Minneには、「愛」と「共有」の二つの意味があり
元々はこの湖水は運河の水を一定のレベルに保つために
貯水池として使われていたところから
「共有の水」の意味で使われていました。
ところが外国語に訳された際に「愛」の意味で訳されたのですが
この呼び名がぴったりと、今では愛の湖と呼ばれているようです。
願いがある人はここにコインを投げると叶えてくれるともいいます
折角の愛の湖での写真、爺さん婆さんでは似合いませんね