末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

ベルギー ブルージュの思い出 4 ノートルダム教会、愛の泉

2011-10-31 15:34:43 | 海外旅行
ノートルダム教会

ノートルダム(聖母)教会  Onze-Lieve-Vrouwekerk

13世紀から15世紀に建てられたブルージュを代表する教会で
レンガ造りの高さ122mの塔は、ブルージュのシンボルの一つとなっています。

教会の塔。左の建物は1727年の建造で当時の裁判所。


サン・ボニファース橋と裁判所


教会内部(借物写真)

ここには、イタリア以外の地で見れるのは珍しいミケランジェロの作品
白大理石でできた「聖母子像」や
「キリスト受難の図」を描いたファン・アイクの絵等があることで有名です。

中央が聖母子像(借物写真)


拡大聖母子像(借物写真)


大きな3つ折の絵画キリスト受難の図(借物写真)

後述「優雅な白鳥」で触れる美女として名高い「ブルゴーニュのマリー」の棺が
父ブルゴーニュ公の棺と並んで安置されています。

マリーと父の棺(借物写真)


優雅な白鳥に纏わる伝説




愛の泉に遊ぶ白鳥のイメージをちょっぴり壊しかねない伝説があります。

市民に圧倒的な人気を得ていた当地の支配者
ブルゴーニュ公爵家の娘マリーが夭折した後

その夫であったハプスブルク家の皇帝マクシミリアンが
その後継者の座につきました。

もともとよそ者の彼はあまり市民に人望がなく
更にブルージュを神聖ローマ帝国に無理に組み入れようとしたことが
市民の反発を買いました。

そして1448年、市民たちはマクシミリアンを幽閉し
彼の臣下ランシャルを処刑してしまいます。

その後権力を取り戻したマクシミリアンは
ブルージュ市民に対する罰として、彼らが行った罪を永遠に忘れさせないようにと

臣下ランシャルの家紋であった白鳥を、住民達が永遠に飼うように命じて
湖にたくさん放ったのでした。

こうして今でもブルージュの町には白鳥たちが泳いでいるのだと伝説は伝えます。
なかなか粋な罰ですね。


愛の湖公園

愛の湖
右の建物は16世紀に立てられた水門の家で、左に見えるのがノートルダム教会

純白の白鳥たちがゆったりと羽を休め
木々や歴史的建造物の影を映すロマンティックなこの湖は
恋人たちにとっては絶好のデートスポットです。

この愛の湖という名前にはいわれがあるようです。

ここはかって、水上輸送の波止場として使われていましたが
運河と水門で仕切られて湖となりました。
そして水位を一定のレベルに保つために、湖が水貯水池として使われました。

現地語でMinnewaterと呼ばれていますが
Minneには、「愛」と「共有」の二つの意味があり

元々はこの湖水は運河の水を一定のレベルに保つために
貯水池として使われていたところから
「共有の水」の意味で使われていました。

ところが外国語に訳された際に「愛」の意味で訳されたのですが
この呼び名がぴったりと、今では愛の湖と呼ばれているようです。

願いがある人はここにコインを投げると叶えてくれるともいいます


折角の愛の湖での写真、爺さん婆さんでは似合いませんね

ベルギー ブルージュの思い出 3 ペンギン会修道院

2011-10-30 08:45:14 | 海外旅行

ペギン会修道院 Begijnhof

ブルージュ旧市街の南にある静かな佇まいのペンギン会修道院は
白い建物が緑の中庭を取り囲んで宗教的な雰囲気を漂よわせており

中世から時を止めたようなその一角は
ブルージュの人気スポットの一つとなっています。

ベギン会修道院について

従来の修道院とはシステムの異なったフランドル地方独特の組織で
十字軍の遠征で夫や息子たちが出征してしまった後
残された婦人たちが集まって共同生活をする場として創立されたのが始まりです。

15世紀からベネディクト会の修道院として引き継がれ
修道女たちが信仰と祈りの生活を送る場として今に至っています。

青い芝生と清楚な水仙。俗世界を隔てる様な大きな木立

我々が訪れた春には、青々とした芝生の中には、水仙の花が咲き乱れ、
高く高く伸びた木々は、俗世界と、宗教的な生活を隔てる広い境界の様でした。

木々の向こうには白壁の家屋が連なり、修道女たちの祈りと生活の場所になっています。

荷物を持って修道院入り?


礼拝堂


住居


修道女のいるこんな景色を見たかったのですが駄目でした。


修道院の看板


運河にかかる橋と門


門の像








ベルギー ブルージュの思い出 2 運河クルーズ

2011-10-28 19:18:20 | 海外旅行
ご機嫌のktempleいますよ

水の都ブルージュですから、運河クルーズは欠かせないものです。
ブルージュならではの景色が次から次へと現れて大変楽しいものでした。

だどんな順序で廻ったは全く記録もありませんし
アナログ写真をスキャナーでPCに入れた写真のため
撮った順番も分かりませんので、適当に並べてありますが
ブルージュの様子がお分かり頂ければ幸いです。


乗り場風景

マルクト広場の鐘楼が見えた運河








目の前に鐘楼

ノートルダム教会の見えた運河






運河からの色々の風景




















ベルギー ブルージュの思い出 1マルクト広場

2011-10-27 11:45:54 | 海外旅行
運河と橋の街ブルージュ。奥の塔はノートルダム教会

先日オランダ風景を掲載しましたが
平成11年に行なったこの時の旅ではオランダとベルギーを廻りました。
ベルギーでは
アントワープ、ブリュセル、ブルージュ、ケント、アンデンヌ地方の古城等を
巡りましたので、先ず一番印象深かったブルージュから順次ご紹介することにします。


ブルージュ(orブルッヘ)について

ベルギー北西部、フランデレン地域の都市で、西フランダース州の州都です。

ブルージュとは「橋」という意味で、50を越える橋が縦横に走る運河にかかり
北のベニスとも言われる“水の都”です。

町のシンボル白鳥が遊ぶ運河

ブリュージュのマスコット白鳥、階段状の切り妻屋根、赤煉瓦の家屋
ゴシック建築の歴史的建造物等、中世以来時の流れを止めてしまった美しい街並みは

「屋根のない美術館」と呼ばれており
2000年には旧市街地は丸ごと世界遺産に指定されました

歴 史

九世紀に建てられた城塞が街の起源とされており
12世紀に大津波が襲い、その時に残された大きな溝に運河を作り

町中に水路を張り巡らせ、北海ともつながり
船での交易に便利な港町が作られました。

その結果イギリスや北欧と内陸を結ぶ交易が行なわれ
14世紀には金融・貿易の一大拠点として繁栄しました。

然し北海から絶えず運河に運びこまれていた砂で運河が埋まり
船の行き来が不可能になり

水運交易の中心地”の座をベルギー北部の街アントワープに明け渡し
ブルージュの繁栄も15世紀には幕を閉じ
中世の面影を残したまま時を止めてしまいました。

忘れられた存在だったブルージュが再び脚光を浴びるようになったのは
19世紀になってからで

折りしも蒸気船や鉄道の発達により
英国やフランスの裕福な階級では旅行ブーム到来の時期となり
中世にタイムスリップできる人気観光スポットとなったようです。

見学場所

見所の多いブルージュですが、
小生達は、マルクト広場、ペンギン会館、ノートルダム寺院、グルーニング美術館、
それに運河巡りをしました。

またこの町ではチョコレート屋さんが、旧市街地内だけでおよそ50軒もあると事で
チョコレート屋さんも訪れました。

ブルージュの写真は比較的多く残っていますが、
ビデオに夢中になってか、場所により写真が少ない事がありので
現地で購入した案内書の写真を利用しました。


マルクト広場
ブルージュ観光の起点となるのがマルクト広場で、ここには見どころが集まっています。

マルクト広場。右上鐘楼。左州庁舎

中央には1302年にブルージュで発生した市民蜂起の英雄
ヤン・ブレーデルとピーター・ド・コニングの像があり

周囲にはブルージュの象徴である鐘楼や
西フランドル州の州庁舎などが広場を取り囲んでいます。

鐘楼の反対側には、昔のギルドの建物を利用した
華やかなレンガづくりのレストランが並んでいます


ヤン・ブレーデルとピーター・ド・コニングの像


州庁舎


煉瓦造りのレストラン

ギルドホールと鐘

ギルドホールと鐘楼

13世紀に建設されたギルドホールの頂上に聳え立つ鐘楼は高さ83メートルの塔で
鐘楼に登るにはエレベーターはなく366段の階段を登ります。

その途中には、総重量27トンという47個の鐘を組み合わせたカリヨンや、
自動演奏装置が見られます。

ドラム式カリヨン自動演奏装置
ドラムが回転するとドラムのピンにレバーが押し上げられ
レバーに結び付けられた鉄線を引っ張り、鉄線の先のハンマーが鐘を打つ仕掛け


カリオン演奏者

勿論息を切らしながら上りましたが、頂上に着き見下ろすと
疲れも吹き飛ぶくらいの絶景に出会えました。


鐘楼塔頂からの四方の眺め


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左の塔はノートルダム教会。右塔はサン・ソヴァー教会


















杖に感謝。そしてもう直ぐなる80歳を思う

2011-10-25 08:44:17 | 日記
頂いた杖。初めて使うにあたり何か目印でも付けようかと見ると、
既に名前が彫りいれてある事に気がつくボケ爺さん

21日に初めて杖をついて出掛けた事を書きましたが
実はこの杖、会社から、今年から来年にかけて
80歳になる役職者OBに、4月頃贈って下さった杖で
身長を連絡して、それに合わせて三越で作って下さった木製の立派な杖です。

頂いた時は、こんなに早く贈ってくれても当分使うこともないから
飾ってでもおくよりしょうがないと思っていたのが事実です。

実は毎年行なわれるOB会では80歳になると胸にリボンを付けるのですが
今迄のOB会でリボンを付けた方でも
杖をついている方は殆ど見かけませんでしたし
小生自身これからも、あちこちを旅して廻ろうと思っていたからです。

ktempleのこんな元気な姿はもう無理でしょうね

それが突然杖のお世話になったのですから
今更ながらタイミングが良い贈り物であったと会社に感謝すると同時に
80歳は大きな節目の時期であることを改めて感じています。

それと先日電車に乗っていると、杖をついておられる方もみえ
いずれも腰が曲がってヨチヨチ歩きで
これが今のわが姿かとちょっとがっくりでした。


思えば小生若い頃は、人生50年と言われており
既にそれを30年、また現在の平均年齢も越しており
中学時代の同期生の亡くなった方は40%を越えた事を思うと
本当に長生きしているのだと改めて感じています。

実は母親は80歳で亡くなりましたが、父親は100歳まで長生きし
90代になっても一緒に旅行をしたり、殆ど病気もしませんでした。
亡くなる少し前でも、外を杖もつかずに散歩していた姿を見ていたために
80歳という齢の重さを余り感じずに過ごしてきたのでしょう。

今回ヘルニアで歩けなくなり
家内におんぶに抱っこの生活を余儀なくされていると
来年1月には80歳になる自分について改めて考える様になりました。

少ししょんぼりして考えに耽るktmple

小生重い病気になった時には、無駄な延命処置を受けない様
日本尊厳死協会会員になり、「尊厳死宣言」をしていますが

重い病気でなくても、人様に迷惑をかける段階があると思うと
長生きするならば、そんな事がない様に
可能な限り自立した生活を維持できるよう
注意と努力をしなければと思うこの頃です。

ちびちびとアルコールをなめながら音楽を奏でる生活が憧ですが
耳の遠くなったketmpleには今は不可能。
やはりブログで楽しませて頂くのが一番でしょうね!