寝ころびて空との対話春野かな
春野いま発電パネルに蔽はれて
たんぽぽやかなたに群るる熱気球
蒲公英や発電パネルのすきまにも
粗食とは言へぬ今日日の目刺かな
落椿地に幸ひを撒くごとし
枝々の放つ雨だれ春の山
西行墳木立覆ひてあたたかし
河内野を春田春田と登り来し
登り来て河内望めば遠霞
カットの写真はわが家の八房の梅ですが二月中旬のものです。
前半の五句は句会用に作成したものです。日の目を見なかったものも含まれています。
後半の五句は西行の終焉の地、河内の弘川寺で吟行をしたときのものです。
桜はまだまだでしたが鶯が鳴き庵を結ぶには適した環境であったと思われます。
いつも大変お世話になっています!!。
寒暖の差があまりにも激しいこの3月ですしたが
ようやく本格的な春の到来ですね?散策に出かける
度に様子が大幅に変り、色々な花が咲きだしました。
まさに季(とき)は春爛漫を迎えようとしています。
いつも句会会場にてお伺いしています、「八房の梅」
とはどんなんでしょう?興味深々です。
☆春野いま発電パネルに覆われて
当節話題になっています、買い取り発電の奨励により
田園が発電パネルに覆われ、折角の春野も無粋
なる事この上ありませんね!。
☆たんぽぽやかなたに群るる熱気球
たんぽぽの一杯咲いている、穏やかな田園が広
がります。熱気球はバルーンフライイングの競技用
でしょうか?長閑な春の光景がナイスです!!
☆粗食とは言へぬ今日日の目刺かな
嘗て昔であれば、肥料にもされたほどの鰯ですが
現在漁獲量が激減してしまい、釣り餌にも困る程と
聞きました。しっかり噛みしめ、味わはなければ?
☆落椿地に花びらを撒くごとし
椿の花は咲いている光景もさりながら、落ちている
風情が良いものですね?
☆河内野を春田春田と登り来し
河内の弘川寺へ吟行へ訪れられたとか?少しづつ
丘陵になった、だんだら坂を登られたようですね?
「春田春田と登り来し」との措辞が、よくその光景を
物語っていて、見事です!!。
五句もお採り下さり有難うございます。
太陽光発電の大切なことは分りますが、売電単価が高すぎるため、雨後の筍のようにあちこちに設置され、景観を損なうこと甚だしいです。しばらくぶりに近くを散歩してみると、やたらとパネルが設置されていて驚きました。いろいろトラブルを起こしているようです。
西行についてはあまり芳しくない言い伝えが残っており、好きではありませんでしたが、お墓(小高い塚)を見ると何となく親近感を覚えます。芳しくない言い伝えは単なる中傷かもしれません。
寝ころびて空との対話春野かな
「空との対話」が春野の季語にピッタリと嵌って好きな句です。春野に寝転んだ記憶はありませんが、かつて豪州に長く単身で滞在していた時、満天の夜空に南十字星を見ながら野原に寝転んだことが良くあります。まだ若い時でしたからいろんな夢を見ていいたのでしょう。
蒲公英や発電パネルのすきまにも
ユーモアのある句ですが、タンポポにとっては住処を奪われていることで不幸なことです。太陽パネルの設置に対しては付近の住民への問題が発生していて、別なる環境問題が起きています。
河内野を春田春田と登り来し
「春田春田」の語呂がいいですね。先月明日香の岡寺に行きましたが、きつい坂で「春田春田」のような調子では登れなかったです。
登り来て河内望めば遠霞
河内は古代から続いている町です。古い歴史を辿りながらの遠望が遠霞というのもいいじゃないですか!
いずれの句も作者の温かい思いが伝わってくる秀句でしたが、敢えて次の句を頂きました。
寝ころびて空との対話春野かな
寝ころびてがいいですね。いかにも春の穏やかな、のんびりしたそして生命の動きだすものまで感じられます。
粗食とは言へぬ今日日の目刺かな
終戦間もなしの食糧事情での目刺は、庶民の重要な蛋白源U+2753でした。その分飾ることなく、日々の食卓や弁当箱の定番でした。いやに塩辛かった。しかし、今や店に並んでいる目刺はツンとすまして、贅沢食材の一角に入ろうとしている。隔世の感がある。食糧事情の変化はこのように唯の石ころが玉にも変わりうると作者は感じられておられるようだ。納得のいく一句ですね。
落椿地に幸ひを撒くごとし
ちょうど今の時期句の情景を目にします。その光景を幸ひを撒かれていると捉えられたところが素晴らしい。綺麗な一句ですね。
枝々の放つ雨だれ春の山
春のちょっとした雨模様、木々の枝からの雨を眺めながら、そこには春の山の生命の息吹を感じておられるようですね。この時期の万象の讃歌です。
4句もお採り下さり有難うございました。
春野というとご存知と思いますが西区の農業公園に広々とした斜面の草地があります。見晴らしもよく寝ころぶには最適な場所です。
再生エネルギーが大切なことは分りますが、農地を潰してパネルを敷き詰めるのは考えものです。買取単価が下がってきたので今後はあまり増えないでしょうが。
弘川寺へ行くには富田林の駅から1時間に1本のバスしかないのですが、ゆるい坂をとろとろと登っていきます。春田は車窓から見た風景です。青々とした草で覆われた春田が印象的でした。
4句もお採り下さり有難うございました。
最初の句ですが、「雲との対話」にしようかなとも思ったのですが、常識的かと考え「空との対話」にしました。
目刺は好きですが滅多に食卓に上がってきません。自分で買って来ればいいのですが。
落椿は数が少ない方が風情がありますが、新しい花が一面に落ちているのも温かみがあります。「ごとし俳句」はあまりよくないと聞いていますがあえて使ってみました。
吟行当日の朝までかなり雨が降っていたので止んだ後も森の中は枝から落ちる水滴で悩まされました。これを雨だれと呼んでいいものかちょっと疑問があります。
まことに遅ればせのコメント、お許しください。下記の3句を頂戴いたします。
”寝ころびて空との対話春野かな”~石川啄木かと思うような出だしで、どうなるかと思ったら”空との対話でぴたり決まりましたね。春ののんびりした雰囲気がでていてとても和やかな句になりました。」
”落椿地に幸ひを撒くごとし”~椿でなくても中七下五につながりそうですが。有馬温泉にある念仏寺では沙羅双樹の花がぼたりと落ちます。しかしこの時期はやはり椿でしょうね。昨日、京都の法然院の特別公開に行ってきましたが、本尊の阿弥陀如来の前に二十五菩薩二十五花といって、さまざまな椿の花がおかれていました。こういう光景をみていると、確かに幸が撒かれているような気がします。
”河内野を春田春田と登り来し”~これは名吟!春田春田のリフレインが際立っています。ちなみに弘川寺は数年前に行きました。車で上がったので、こんな雰囲気を味わうことができませんでした。残念!
大変遅いお礼で申し訳ありません。
3句をお採り下さり、それぞれにお褒め下さりまことに有難うございました。
落椿は2つ3つが美しいと詠まれますが、あまり傷んでいなければ沢山落ちているのもいいものです。法然院の特別公開は知りませんでした。広くアンテナを張っておられるのですね。機会があれば寄ってみたく思います。
春田の句はバスの車窓からの景色です。歩きのように見せかけて申し訳ありません。緑に覆われた春田が次々と現れたのでこのように読んでみました。