朝晩は新涼を感じ始めましたが日中はまだまだ秋暑しです。
蝉の声も殆んど聞かれなくなったころに蝉時雨で申訳ありません。
写真は須磨にある敦盛塚です。日本で二番目に大きい五輪塔だそうです。
一の谷雄哮今や蝉時雨
もののふの名はとこしなへ蝉しぐれ
堂々の五輪の塔や萩の花
鳴く姿見むと佇むみむみむ蝉
ひぐらしや森の深きを語りをり
頼りなきものを頼りて蝉の殻
よくもまあ育ちしものよ化け南瓜
菊南瓜しわの深さを競ひをり
蝉の声も殆んど聞かれなくなったころに蝉時雨で申訳ありません。
写真は須磨にある敦盛塚です。日本で二番目に大きい五輪塔だそうです。
一の谷雄哮今や蝉時雨
もののふの名はとこしなへ蝉しぐれ
堂々の五輪の塔や萩の花
鳴く姿見むと佇むみむみむ蝉
ひぐらしや森の深きを語りをり
頼りなきものを頼りて蝉の殻
よくもまあ育ちしものよ化け南瓜
菊南瓜しわの深さを競ひをり
句会が2回抜けるとかなり長期間お会いしてないように感じます。今月の句会が待ち遠しいです。まだ準備はゼロですが。
拙3句も取り上げてくださり、情感溢れるコメント有難うございます。
「おたけび」は当初「雄叫び」としておりましたが、国語辞典に「雄哮」と出ていましたので、これを採りました。しかし、広辞苑では「雄叫び」となっており、この方が分かりやすくて良いと思います。
ひところ話も出来ないほど鳴いていた蝉もいなくなってしまい、季節の移ろいを感じます。しかし、主が死んでも殻はしっかり掴まったまま残っています。抜け殻を見るといろいろ考えさせられます。
拙3句も取り上げて下さり有難うございます。
ひぐらしの句: 指摘されてみますと、空間の広さを感じないこともないなあと思うようになりました。
蝉の殻の句: これは実写です。太い木がたくさんあるのに細長い草の葉に摑まって羽化する理由が分かりません。
人間も似たようなものかもしれませんね。
南瓜の句:昨今菊南瓜はあまり好かれないのか、見かけませんが小生は好きです。皺の深い方が形として優れているように思っているのですが。
拙2句にコメントを下さり有難うございます。
敦盛塚は命よりは名誉を重んじた武士を称えかつ憐れんで建立されたものと思います。現代は逆ですから、このような石碑が立つことはなさそうです。
森の中でひぐらしの声を聞くと奥深くまで分け入ったことを実感します。ひぐらしの鳴声には非日常性がありますね。
もちろん覚えております。お懐かしいです。
拙3句を取り上げて下さり有難うございました。
源平の古戦場の須磨浦公園には古戦場らしき痕跡は何もなく、ただ蝉がうるさいほどに鳴いていました。
足下に大阪湾が広がる景観は大したものだと思いました。
これからもコメントをよろしくお願いいたします。
随分お久し振りですね!!。早く皆様共々お会いしたいものです。
☆一の谷雄哮今や蝉時雨
源義経のひよどり越えで名高い、源平合戦の一の谷の戦い。嘗ての戦いに勝るほどの蝉時雨が彷彿され、悠久の時の流れをしっかり思わせてくれます。雄哮は「おたけび」と読むようですが、「雄叫び」の方が適切と想われるのですが・・・?、ご解説頂ければ幸いです。
☆ひぐらしや森の深さを語りをり
小生は蝉の鳴き声の中では「ひぐらし」が一番好きです。あの「カナ、カナ、カナ・・・カナ」と最後が途切れながら鳴く声を、茜空を背景に聞くとき、胸がきゅんとなるほどの哀愁を覚えます。半生の想い出が一度に過ぎるほどです。御句にひぐらしの鳴き声に聞き入っておられ、森の深さを確実に感じておられる所に大変共感の好きな素敵な一句です。
☆頼りなきものを頼りて蝉の殻
蝉の殻、空蝉を眺める時いつも生きている蝉そのものより、何かを語りかけている様子に、心が魅かれます。数年間、否、アメリカには18年蝉もいるようですから蝉の一生は殆ど暗い土の中ですね!!。地上に羽化してもほんの一週間ほどで、恋の鳴き声ばかり。それも雌は鳴き声も立てず、相手を探すのみですね。「頼りなきものを頼りて」との措辞に、人の一生に相通じるものを覚え、とても身につまされる好きな一句です。
ひぐらしや森の深きを語りをり
頼りなきものを頼りて蝉の殻
菊南瓜しわの深さを競ひをり
上記三句を頂きます。
最初の句:ひぐらしの鳴き声と森の深さが、時間と距離の三次元的象徴を具象化しているように思います。
二つ目の句:頼りないと思う物差しは人間の見方で、蝉にとってはそうでないのかもしれない。しかし、所詮人間のはかなさは蝉の殻に例えることで、蝉と人間は
同じ仲間なのだと言っているような気がします。
三つ目の句:高期高齢者を菊南京に例えてみると、急に元気が湧いてきました。
以上
もののふの名はとこしなへ蝉しぐれ
戦国武将の逝った跡にはよく碑が立っていますが、その名はこの国がある限り、語り継がれるでしょう。蝉の声が変わらず、過去も今も未来も見守るのでしょう。御句からは名は残るものの宇宙から見たときの儚さが漂っていることを感じ取れます。
ひぐらしや森の深きを語りをり
ひぐらしが鳴きやむ寸前は消え入りそうな声ですが、これを森に吸い込まれ、森の深さを示すと捉えられたところが素晴らしいと思いました。
随分御久しぶりです。 覚えておいででしょうか? 時々、草若葉の俳句を拝見しています。
さて、今日のお句ですが、確かに蝉時雨はちょっと盛りを過ぎ、今は虫時雨の夜ですが、つい先日までは盛んに鳴いていましたよね。 まして、歴史を思い起こさせる場所で聞かれた蝉時雨は何か心に深く感じられるものがあったのだと思います。 そんなことを想像して次のお句を頂きたいと思います。
☆一の谷雄哮今や蝉時雨
☆もののふの名はとこしなへ蝉しぐれ
また、次のお句は蜩(かなかな)の涼しげな声が深い森に響き、夏の終わりから初秋の感じがよく伝わると思いました。
☆ひぐらしや森の深きを語りをり