草若葉のスタイルを今回から以前のスタイルに戻すことに致します。幹事二人で、相談の上、これまでのスタイルに変えて、以前のように各月に一人が
俳句や俳句随想などを書き込むことに致しました。(今月の担当は、ゆらぎです)
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私、ゆらぎは、松山市にある道後温泉に生まれました。夏目漱石が、一時居留したところであります。また母方の祖父、速水滉(ひろし)は、夏目漱石の門下生や友人たちが集う「木曜会」の一員でありました。。そのようなことから、私は、夏目漱石とは深い縁があるのと思っています。
そのような訳で、今回は漱石を偲ぶ句と、今の季節(晩夏から初秋)を詠んだ句を並べることにしました。
(漱石を偲んで)
(漱石の人生を辿って)・・・季語はほとんど取り入れておりません。ご容赦 ください。いわゆる無季の句です。芭蕉の、”松島やああ松島や松島や”、がよく知られています。
①漱石も浸かりし温泉道後の湯
②松山に子規と遊ぶや二人して
③二十人余漱石も坐す子規句会
~明治31年新年句会にて
④漱石の聴くこともなき玉音放送
~昭和20年。漱石の死後ほぼ30年後のことである。
⑤倫敦(ロンドン)の寒灯のもとラブレター
~愛妻鏡子さんへ
⑥ホトトギス「吾輩は猫」起死回生
⑦修善寺に今日(けふ)なお残る漱石庵
⑧美しき人と出会えり小天(おあま)温泉
⑨『草枕』ゆかりの地なり小天温泉
①漱石も浸かりし温泉道後の湯
②松山に子規と遊ぶや二人して
③二十人余漱石も坐す子規句会
~明治31年新年句会にて
④漱石の聴くこともなき玉音放送
~昭和20年。漱石の死後ほぼ30年後のことである。
⑤倫敦(ロンドン)の寒灯のもとラブレター
~愛妻鏡子さんへ
⑥ホトトギス「吾輩は猫」起死回生
⑦修善寺に今日(けふ)なお残る漱石庵
⑧美しき人と出会えり小天(おあま)温泉
⑨『草枕』ゆかりの地なり小天温泉
(晩夏から初秋の句)
①蝉すだく朝から元気をもらひけり
②主計町道を歩けば蝉の声(金沢の景)
③まだ若き父の写真や蝉すだく
~終戦の夏、父は幽冥境を異にした。
④桔梗見て式部の事を思ひけり
~京都御所の北西の門を潜ると紫式部の住まいがあります。
⑤花火明かり草のゆらぎと幼子と
~再掲をお許し頂きたい。
⑥亡き父は「或微音」とぞ呼ばれけり
注)アルビオン(英語: Albion、ラテン語: Albionは、知られている中で最 も古いブリテン島の名称(雅称)である。亡き父は、英文学専攻であり, また予てより「ロンドンタイムズ」を一週間単位でロンドンから取り寄せていた。そのような訳で、小生は自然と英語に親しむようになった。
⑦倫敦(ロンドン)に住みたき願望亡き父は
②主計町道を歩けば蝉の声(金沢の景)
③まだ若き父の写真や蝉すだく
~終戦の夏、父は幽冥境を異にした。
④桔梗見て式部の事を思ひけり
~京都御所の北西の門を潜ると紫式部の住まいがあります。
⑤花火明かり草のゆらぎと幼子と
~再掲をお許し頂きたい。
⑥亡き父は「或微音」とぞ呼ばれけり
注)アルビオン(英語: Albion、ラテン語: Albionは、知られている中で最 も古いブリテン島の名称(雅称)である。亡き父は、英文学専攻であり, また予てより「ロンドンタイムズ」を一週間単位でロンドンから取り寄せていた。そのような訳で、小生は自然と英語に親しむようになった。
⑦倫敦(ロンドン)に住みたき願望亡き父は
以上
嬉しいお言葉を頂きありがとうございました。また、”二十人余・・・”、”花火明かり・・・”、
”倫敦に・・・”、と三句をお選び頂き恐縮です。なかんづく、”倫敦に・・・”、の句は亡き父の事を思い出して、少し涙が出てきます。
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今回の拙稿に思いもかけず嬉しいお言葉を頂き恐縮です。あまり褒めそやされますと、次回の取り組みがムズカシイです(笑)
今回の拙稿に思いもかけず嬉しいお言葉を頂き恐縮です。あまり褒めそやされますと、次回の取り組みがムズカシイです(笑)
拙稿に、嬉しいいコメントを頂きありがとうございました。これからも、まだまだ新しい世界へと広げられるように頑張ります。
「蝉すだく」、「主計街」、「まだ若き」の三句をお取り頂きありがとうございました。このうち「主計町」の句は、「草若葉」の面々で金沢へ旅に出かけた時の思い出を詠んだものです。懐かしく思い出しました。また、「若き父の写真」の句ですが、終戦の夏に亡くなった父の顔のことをかすかに覚えています。小生が長じた時に、父がいなかったということは、寂しいことでした。
拙稿につき。お褒めの言葉を頂き恐縮です。夏目漱石とのつながりから、あれこれ書きましたが、今でも松山のことは懐かしく思うことがあり、時折徳島道を車でを走ります。松山にはある意味の常宿もあって、松山に出かけては、句を詠むことがあります。
拙稿につき。お褒めの言葉を頂き恐縮です。夏目漱石とのつながりから、あれこれ書きましたが、今でも松山のことは懐かしく思うことがあり、時折徳島道を車でを走ります。松山にはある意味の常宿もあって、松山に出かけては、句を詠むことがあります。
ゆらぎさんの如何に俳句と縁が深いのか、良く分かりました。松山がキイーのようですが、正にこの地で生まれたことが、ゆらぎさんが俳句の申し子であり、俳句のど真ん中にあることがよく分かりました。
今回のどの句を見ても、子規、漱石、母方の祖父様そして父上への深い思慕と熱い思いが伝わってきます。
特にゆらぎさんの思いを強く感じる次の句を頂きます。
二十人余漱石も坐す子規句会
花火明かり草のゆらぎと幼子と
倫敦(ロンドン)に住みたき願望亡き父は
酷暑お見舞い申し上げます。
今回、新しいスタイルの句会に出会いました。自らのルーツと自分史を一貫して「俳句」で語れる人は、稀有でしょう。
暮らしの底流に、「松山」・「俳句」・「英文学」が存在し、豊かな日々と思われます。
伊地知拝
以前からゆらぎさんの独自の世界を感じていました。私も歳をとってしまいましたが、一つ一つ繙くことが出来たらと、遅まきながら進んでいけたらと。また新しい世界が広がっていくように感じました。(文責:九分九厘)
「いふまいと思へど今日の暑さかな」との有名な句がありますが、とうとう立秋を迎えましたね?
ゆらぎ様が松山の道後温泉で生を受けられ、その松山には夏目漱石も一時居留していた事があるとの事、又母方の祖父速水滉(ひろし)氏は、松山の漱石の門下生が集った「木曜会」の一員であった事など。更にお父上は「或微音・・アルビオン」との号にて、俳句をものされていたとの事などを嘗ての「芒の会」での食事の後のお話にて聞いておりましたね?・・・その事を想い出しました!!。
従って、ゆらぎ様と夏目漱石、御祖父、御尊父さまと連綿と伝わる俳句の関連性とその回顧かとも想いました。
そして「晩夏から初秋」の御句の中より以下の句を
頂きます。
☆蝉すだく朝から元気をもらひけり
☆主計町道を歩けば蝉の声(金沢の景)
☆まだ若き父の写真や蝉すだく
~終戦の夏、父は幽冥境を異にした。
かつらたろう(桑本栄太郎)拝
子規・漱石・俳句・松山・ゆらぎ・・・と三代約百五十年の文化と人のつながりの歴史が綴られ、感銘を受けるブログです。ゆらぎさんが心から敬服されている御父上がお亡くなりになったのが、終戦時の夏のことであり、そして「漱石の聴くこともなき玉音放送」と詠まれたゆらぎさんの気持ちが、私なりによく理解できます。
(九分九厘)