切り絵

浮世絵を切り絵に

広重 江戸近郊八景 芝浦晴嵐

2015年02月26日 | Weblog

芝浦晴嵐

芝浦の海の嵐の去ったあとの爽快な風景を、海上から岸を遠望する形で描いている。 芝浦は、古く竹芝の浦と言われていたのを縮めて芝浦と呼ばれるようになったが、 江戸前の鮮魚の漁場として栄えた。

「風あるヽ間なくもはれて嵐をは たゝむ扇の竹芝のうら 梅花亭花丸」

「雲の峯も浪にそ洗ふ芝のうら 嵐の跡や青きささみよ 万代金員久」

「御殿山風に落葉をさそひきて こけほとちらす芝の魚ふね 八陣亭」

ジグソーパズル

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広重 富士三十六景 相模七里ケ浜

2015年02月17日 | Weblog

相模七里ケ浜」 (神奈川県鎌倉市)

 七里ケ浜は鎌倉から江の島を結ぶ道として使用され、沿道には茶屋が出てにぎわい、浮世絵にもしばしば描かれた。右手の茶屋では揃いの着物の女性二人がくつろいでいて連れ立っての江の島詣と思われる。茶屋の軒下には広重のトレードマークである「ヒロ」印をあらわした提灯や、版元である「蔦吉」などの文字の入った旗が下がっていて、浜では二人の地元の子供が後ろ姿の旅人に銭をねだっており、旅人は右手で銭を与えている。浜はゆるやかにカーブして奥に続いてゆき、その先には江の島と富士山が姿を見せている。

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広重 名所江戸百景 千束の池袈裟懸け松

2015年02月08日 | Weblog

千束の池袈裟懸け松」   (東京都大田区南千束)

千束の名は、鎌倉時代の僧で日蓮宗の開祖である日蓮が、ここで足を洗ったと云う逸話にちなんだものとされる。主題となっている袈裟懸松には、日蓮がその際に身に着けていた袈裟を掛けたという伝承が残っている。松のかたわらには、名木を眺める人々の姿が見え、天保三年(1832)の年記を有する石碑も置かれている。左手奥に見えるのは千束八幡神社、ここには七面大明神が祀られており、この池に棲む大蛇の害を封じるための社といわれた。手前に見える中原街道で、街道筋の茶店ではひと息ついた女性姿が見える。

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広重江戸名所百景 両国回向院元柳橋

2015年02月01日 | Weblog

両国回向院元柳橋」(えこういん)

両国の国豊山無縁寺回向院は、明暦3年(一六五七)正月に本郷丸山町の本妙寺より出火した、明暦の大火(いわゆる「振袖火事」)の焼死者の供養のために建立された。この際の死者は十万余。四百余の町を焼き、江戸城本丸・二の丸・三の丸をも焼き尽くした大火災であった。寛政3年(一七九一)以降、この境内では、春と秋の年二回、十日間かけて勧進相撲が行なわれた。図の左方、回向院境内に組まれた相撲の櫓には、晴天の興行を意味する白の梵火が掲げられている。西南(画面左)に松本藩主松平家の下屋敷を望み、対岸に元柳橋を描く。「難波橋」と称されていた橋のたもとに柳が生えていたため「柳橋」とも呼ばれるようになったらしいが、元禄年間(一六八八~一七〇四)に北側の神田川河口に新たに『柳橋」ができたため、「元柳橋」と称されるようになったといわれる。

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