切り絵

浮世絵を切り絵に

広重六十余州 紀州和歌の浦

2018年08月21日 | Weblog

紀州和歌の浦

 現在の和歌山県全域と三重県南部を含む紀伊国は、降水が本州第一と言われる地域である。一方太平洋に面する海岸に屈折多く、数多い風光絶佳の海浜の地をかかえている。地元住民は一帯を指して和歌の浦を「わかうら」と呼ぶことが多い。

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広重 名所江戸百景 みつまたわかれ渕

2018年08月11日 | Weblog

みつまたわかれ渕

隅田川の下流から右岸の芭蕉記念館展望公園から箱崎川の永久橋で、その左は箱崎にあった田安家屋敷、右側の朱塗り門は堀田備中守 あるいは安藤長門守屋敷であろう。「わかれの淵」とは隅田川と箱崎川の分れ流れるところから呼ばれた。隅田川には、米 俵、酒樽、木綿を積んだ荷船が描かれ、猪牙船や釣船も遠くに見えている。今では想像もできないが、江戸時代の隅田川は洲が多い川だった。特に新大橋と永代橋の間には、中州と呼ばれる大きな洲があり、隅田川の一部は洲の西側の箱崎川のほうに流れて、永久橋の手前の水路が3つに分かれて見えるので三俣と呼ばれていた。

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名所江戸百景 浅草川首尾の松御厩河岸

2018年08月02日 | Weblog

浅草川首尾の松御厩河岸

隅田川の船遊びは四季折々で様々な趣向がこらされており、納涼船は夏の風物詩であった。「首尾の松」は倉庫街蔵前の一画にあり、船で吉原へ向う遊客がこの松を見て今宵の首尾を語り合ったのが由来だ。時代劇では障子をはめ込んだ小部屋付きの舟を屋形船と称していて、暑気払いの舟遊びに使われた。のちに屋形船が幕府により規制され、代わり に登場したのが二人差し向かいで、一杯やるくらいのスペースの舟、それが屋根舟である。この屋根舟には障子がなく、簾が吊ってあるだけで密会に利用される事のほうが多かった様だ。船頭は船を人目につかない岸辺へ寄せて、暫くのあいだ居なくなるという気を使った。

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