切り絵

浮世絵を切り絵に

木曾海道六十九次 加納

2022年05月29日 | Weblog

「加納」

遠景に加納城が見られる、この城は一名沓井城といい、文安二年(1445),土岐氏の家臣斎藤帯刀左衛門利永によって築かれたが、天文(1555)頃廃城となっていた。しかし家康は、岐阜城を廃し、代りに南方を通る中山道沿いの加納宿を設けるとともに、加納城を築き,女婿の奥平信昌に10万石を与えて城主に据え、街道の管理掌握に当らせた。衣服や調度などを納めた長方形の挟箱を担いだ二人を先頭に、槍先の鞘に白毛の飾りをつけた毛槍を振る二人、続々と続く一行は参勤交代の大名行列である。

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2022年05月24日 | Weblog
 
渓斎英泉 木曽海道 板鼻
「板鼻」板鼻宿は英泉が描いた物だが、広重が一貫して用いていた「木曽海道」が此処では使われている、不思議な作品である。板鼻宿本陣跡は板鼻公民館近くにある。現在もやや幅の広い用水路......
 

 

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木曾海道六十九次 鵜沼

2022年05月23日 | Weblog

「鵜沼」

木曽川の河畔の小山の頂に建つ犬山城は松本城、彦根城、姫路城、松江城と並ぶ国宝五天守の一つで、築かれた年代は信長時代の最古(1537年)という天守である。木曽川を隔てた対岸に鵜沼宿の家並みが見える,中山道の鵜沼宿は濃尾平野北端の交通の要衝に位置していた。犬山城は愛知県で木曽川を渡ると岐阜県の鵜沼に至る。

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2022年05月18日 | Weblog
 
木曽海道 高崎
「高崎」高崎宿から三国街道が分岐しており、その起点の宿場である。現在の群馬県高崎市にあたる。中山道と三国街道の分岐点にあたり、幕府の佐渡金山からの人馬車など多くの旅人が横行して......
 

 

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木曾海道六十九次 太田

2022年05月14日 | Weblog

太田

太田の渡し」は、中山道の難所中の難所であった。この川を流れて行くは、尾張藩領の木曽山中で伐採した檜などの木材を尾張の熱田湊まで運んで行く筏である。客を乗せた渡し舟では、流れに押し流されないようにと船頭が舟の舳先を懸命に川上に向けて漕いでいる。手前の堤防では、首から頭陀袋をかけた巡礼の親娘が、これから渡る木曽川と対岸の太田宿を眺めやっている。石に腰を下ろした旅人二人と、さらに堤防の下の川岸には旅人三人が、渡し舟の到着を待っている。大正二年に太田から犬山まで舟で下った地理学者志賀重昴は、その間の景観を讃え「日本ライン」と命名した。

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2022年05月08日 | Weblog
 
英泉 木曽街道 倉賀野 宿烏川之図
倉賀野 (群馬県高崎市)烏川は利根川の上流で江戸との間に舟運が開けていた。倉賀野宿は商人ばかりでなく河川で働く船頭や、荷役、船大工、街道筋で働く牛方、馬方で賑わっていた。川縁に......
 

 

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木曾海道六十九次 伏見

2022年05月05日 | Weblog

「伏見

木曽川の流れの変化などにより、渡し場が上流へ移動された。土田宿は廃宿となり、(1694年)上流に位置する伏見宿が誕生した。台傘・立傘を担ぐ奴二人を前に、杉の大樹の木陰で昼寝をする者、食を取る者等、極めて庶民的な感覚を満喫している。右側には三人の瞽女が描く。彼女達は全国の農村や漁村を数人でまとまって廻るのが常で、語り物や流行り歌・民謡等を、三味線を弾きながら昼は門付し、夜は宿で唄って物品や銭を稼いだ。左からは医者が近づいてくる等、登場人物も多彩である。

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