切り絵

浮世絵を切り絵に

広重 名所江戸百景 芝うらの風景

2017年11月22日 | Weblog

芝うらの風景

芝浦は江戸湾の西に位置する江戸城台所への菜肴献上などの国役を務める町で、画面の右側には将軍家の別荘である浜御殿(浜離宮庭園)がある。左奥に見えるのは台場、江戸湾に浮かぶ大小の船がのどかな雰囲気を醸し出している。左方に立っているのは、水路標識の澪標である。

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広重 名所江戸百景 高田姿見のはし俤の橋砂利場

2017年11月16日 | Weblog

高田姿見のはし俤の橋砂利場

現在の「面影橋」が広重の絵でも弓なりの太鼓橋で立派だったことがうかがえる。橋を渡って少し北へ行くと、小さな小川に架かった橋に至る。その橋を渡って左側に氷川神社があり、その向かい、木に囲まれて別当寺である大鏡山南蔵院という寺が建っていた。その昔この 寺の前に「鏡が池」という池があったので、この寺の山号になったという。北側一帯は昔、砂利がとれたので「砂利場村」と称した。

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広重 六十余州名所図会 筑前筥崎海中の道

2017年11月03日 | Weblog

筑前筥崎海中の道

玄界灘に突き出した砂嘴は、荒波を受け止め、穏やかな博多湾を作った。この砂嘴が海の中道で、画面を区切った上が博多湾、下の玄界灘とは海面の様子が描き分けられている。砂嘴は長さ12km、幅は広いところで2kmもあり、現在は鉄道が敷かれ、住宅や観光施設も多い。画面右下には鳥居と燈籠が見え砂曙の先にある志賀島の志賀海神社への入り口を示している。昭和7年(1932)に志賀島橋が架けられると橋脚部に砂が堆積して陸続きとなった。江戸時代には植林も行われて沿岸に松林が広がったが、開発によって松原の大半は失われてしまった。

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