切り絵

浮世絵を切り絵に

名所江戸百景 八つ見のはし

2019年05月21日 | Weblog

「八つ見のはし」

手前の欄干の一部が見えるのが一石橋で、別名を「八ツ見橋」と呼ばれた,正面に見える橋は、銭瓶橋で。この辺りは大きな濠が交差するためこの橋を含め、八つの橋が見渡せたという。この濠は徳川氏が江戸に入った時、江戸城の建設の為の物資や篭城の際の食料を搬入するために、最初に掘った濠だからである。家康入城当時この入り江を使えば、物資を江戸城本丸付近まで運搬して来ることが可能であった為。

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名所江戸百景 井の頭の池弁天の社

2019年05月11日 | Weblog

井の頭の池弁天の社

武蔵野には鷹場があり、御三家の鷹場が交わった場所が三鷹の地名の由来と言われている。その鷹場にあった「七井の池」と言われる名泉のなかでもとくにこの水がよいとのことで名づけられたのが「井の頭池」である。井の頭池は古くから景勝地として知られ、池にあった弁天堂は、源頼朝が平安時代中期に建立したもので一度消失したが、江戸時代に再建さた。また、井の頭池は神田上水の源として、江戸に暮らす人々にとって重要な役割を果たした。

 

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名所江戸百景 浅草川大川端宮戸川

2019年05月01日 | Weblog

浅草川大川端宮戸川

隅田川は浅草川、宮戸川とも呼び吾妻橋から下流は大川とも呼ぶ。両国橋付近で法螺貝を吹く先達と、御幣を付けた梵天を立てて川を渡る人々は、相模国(神奈川県)の大山に参詣する大山講の一行で古くからの山岳信仰の地である。江戸時代後期になると庶民の間で、大山詣でが盛んに行われた。江戸庶民の大山参りは両国橋のたもとにあった石尊垢離場で「慙愧懺悔、六根罪障・・・」と唱えて水を浴び体を清めてから出発した。遠景は 筑波山の双耳峰である。

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