切り絵

浮世絵を切り絵に

広重 京都名所之内 淀川 

2013年06月24日 | Weblog

京都名所之内 「淀川」  (京都府京都市伏見区淀川顔町)

 琵琶湖から流出した瀬田川は何回か名を変え、大阪湾に流入する。その全体を淀川といい、古くは澱川とも記した。延長七五キロに達する大河であるが、秀吉が伏見城を築くに際し、宇治川(淀川の一部)に新流路を開いたため、伏見は港として隆盛をたどり、過書船や三十石船などが大坂との間を往来した。その三十石船などの乗合船の乗客に、酒や食物を売る煮売船、俗称「くらわんか船」が寄ってくる。「酒くらわんか、あん餅くらわんか」などと呼ぶところからの名称である。

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広重 名所江戸百景 目黒爺々が茶屋

2013年06月10日 | Weblog

広重 「目黒爺々が茶屋」  (東京都目黒区)

”目黒のさんま”という落語はよく知られているが、現在の目黒区三田にあたる。爺が茶屋は、目黒川の北側の台地にあった、農民彦四郎が営んでいた茶屋で、江戸時代前期、三代将軍家光が鷹狩で立ち寄った際に、歓待した彦四郎の人柄を気に入って、「爺、爺」と話しかけたことから付いた名であるという。また、村尾嘉陵が記した「江戸近郊道しるべ」によると、この地にはほかにも高台の上に「婆が茶屋」があったといい、眺めのよい休みどころとして人気を博したのだろう。画面左の小高い丘の上に、丹沢の山々と富士を眺める男性が描かれている。

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広重 江戸百景餘興 鉄砲洲築地門跡

2013年06月02日 | Weblog

「鉄砲洲築地門跡」  東京都中央区月島

佃島の南海上から、浄土真宗西本願寺の築地別院を望む。別院は、本願寺教団の幕府への直接の窓口であり、東国の本願寺派の本末関係を超えて統括した。別院は元和年(1617)に浜町または浅草横町に置かれたが、明暦三年(1657)の大火によって焼失した。その際に佃島の信者たちが中心となり、湿地帯である鉄砲洲を埋め立て、廷宝七年(1679)現在の中央区築地に本堂を再建したという。鉄砲洲は江戸湾に面し、佃島の対岸に位置する。積み荷を運ぶ種々の船が往来し、前面に大きく描かれた二隻の弁財船も、手前に位置する佃島をめざしているのだろう。遠方には投網する釣り船も描かれている。

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