切り絵

浮世絵を切り絵に

広重 富士三十六景 上総鹿埜山

2014年03月27日 | Weblog

「上総鹿埜山」 (千葉県君津市)

鹿野山は、清澄山、鋸山とともに房総三山のひとつとして知られている。この山は古刹神野寺、また日本武尊を祀る白鳥神社がある神仏ゆかりの地でもあり、参詣客が多く訪れる景勝地だった。図は白鳥神社参道からの眺めを描いたものである。広重は、天保十五年(1844)と嘉永五年(1852)に房絵方面へ旅行をしていて、いずれの旅でも鹿野山を訪れている。図は鹿野山から江戸湾をはさんで三浦半島を見通し、その向こうに富士山が大きく配されている。手前の大きな樹木で眺めをさえぎっていて、富士見の名所絵にはふさわしくないようにも思われる。広重はあえて視界にこの樹木を入れることで、見るものが鹿野山にいて、実際に風景を見ているような臨場感を与えている。

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広重 富士三十六景 諏訪湖

2014年03月20日 | Weblog

 「信州諏訪之湖」   (長野県諏訪市)   

 諏訪湖を北東から南東、下諏訪から上諏訪方面に向かって富士を見通している。右手から南アルブス、左手から八ヶ岳の山々が迫り、その中央に雪に覆われた富士が鎮座している。左に突き出た城郭は高島藩諏訪家の居城高島城で、三方を水流に囲まれていたため「諏訪の浮島」と呼ばれていた。湖面では漁が行われ、点在する小舟とあいまって、明るく軽やかな春の息吹を施している。

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広重 富士三十六景 東都飛鳥山

2014年03月11日 | Weblog

「東都飛鳥山」  (東京都北区)

現在も桜の名所として知られる飛鳥山は、元享年間(13211324年)にこのあたりを治めていた豊島氏が熊野の阿須賀明神を勧請したことに由来する広大な丘である。享保年間(17161736年)に、もとは将軍の御鷹場などであったが、八代将軍徳川吉宗が庶民の行楽地にすべく桜を植樹させ、一般に開放した。眺望に優れ、市中からの程良い距離も好まれて、四季を通じて遊山する人々が多く訪れるようになった。山の西側を廻る日光御成街道は、北側を流れる石神井川の飛鳥橋を渡って北へと伸びていて、その橋の付近には料理屋や茶屋が軒を連ねていた。本図は街道沿いにひしめく料理屋越しに富士山を捉えた光景である。

 

 

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広重 六十余州名所図会 伊勢 朝熊山

2014年03月04日 | Weblog

伊勢 朝熊山

  峠の茶屋伊勢国は、現在の三重県の西・南・東端を除く大部分を占め,三方山を連ね、一方は知多・渥美・志摩の三半島に囲まれた伊勢湾に臨む。伊勢には天照大神の鎮座する皇大神宮(内宮)と豊受大神の鎮座する豊受大神宮(外宮)があり、全国からの参詣人で娠わった。朝熊山の山嶺は南北に延び、伊勢・志摩両国の分水嶺をなしている。その山容は、北は神崎となって海に入り、南は高く聳えて海抜五五〇メートルの最高峰を形成して内宮の真東に位置し、東北は神路出に接している。内宮から五十町登った峠の茶屋からの眺望は雄大で、東は三河・遠江・駿河などをこえて富士山や甲斐の白根山がほのかに見え、北に美濃・尾張の山々、さらに加賀の白山も見えた。旅人、茶店の女などを細かに描いているが、みな絵のなかで呼吸をして生き生きと動いている。広重の、風景と人間の接点を情感をもって描かれた作品である。

 

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