切り絵

浮世絵を切り絵に

東海道五十三次 箱根

2019年10月30日 | Weblog

「箱根」

東海道一番の難所が箱根越えである。岩肌をあらわにした険しい山の間をぬって、狭い道を大名行列が行く。関所を無事通過し、「天下の険」を更に先へ進む箱根八里である。山並の向こうにさらに富士山が見える。左手には美しい芦ノ湖がある。山肌をモザイク状の色面で構成し、一層険しさを強調している。

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渓斎英泉 木曽街道六十九次 鵜沼驛従犬山遠望

2019年10月21日 | Weblog

鵜沼驛従犬山遠望

木曽街道六十九次は七十枚の版で前半は渓斎英泉と後半は歌川広重で構成されている。木曽川の河畔の小山の頂に建つ犬山城は松本城、彦根城、姫路城、松江城と並ぶ国宝五天守のひとつで、築かれた年代は信長時代の最古(1537年)という天守である。木曽川を隔てた対岸に鵜沼宿の家並みが描かれている,中山道の鵜沼宿は濃尾平野北端の交通の要衝に位置していた。犬山城は愛知県で木曽川を渡ると岐阜県となる。

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東海道五十三次 小田原

2019年10月12日 | Weblog

小田原

江戸時代、小田原を流れる酒匂川には橋がなかった。旅人は渡し場から川越し人足によって川を渡る様に法で決められていた。雨が降り続き、水深が胸あたりになると、川留めとなった。川留めは、旅を急ぐ人々にとって大変な難儀であった。東海道を上方へ向かう旅人は、農家で泊まったり、野宿して川明けを待ちわびた。対岸には北条氏の居城三層四階の小田原城が見え、遠くには箱根連山が連なる。

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東海道五十三次 大磯

2019年10月03日 | Weblog

「大磯」

手前に刈り取った耕地、宿場の入口付近でのにわか雨。左奥の沖合いの海は晴れ。晴雨の対象がおもしろい。大磯街道に沿って宿が連なり、寒さと雨を避けながらようやくたどり着く安堵感。右手には丸みをもつ高麗の山裾が描かれている。曽我十郎の愛人虎御前のこもった高麗山の伝説から、十郎の死を悲しんで流したであろう涙を「虎ヶ雨」と例えた。

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