切り絵

浮世絵を切り絵に

広重 名所江戸百景 角筈熊野十二社俗称十二そう

2016年08月27日 | Weblog

角筈熊野十二社俗称十二そう

角筈村(西新宿)にあった熊野神社は、応永年間(一三九四~一四二八)に紀伊半島にある十二の神社を勧請し祀ったことから、熊野十二社と称したが、のちに「十二叢」とも書いて一帯の俗称にもなった。江戸時代には川をせき止めて社殿の西に弁天池、北東に滝をつくるなど、景観も整えた。中央に弁天池が大きく描かれており、そのまわりには料理屋などが置かれ繁盛した。四季折々の桜や紅葉が人気を呼び、とりわけ夏には納涼にふさわしい場として多くの人々が集まった。

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広重 富士三十六景 信濃塩尻峠

2016年08月16日 | Weblog

「信濃塩尻峠

 中山道の塩尻峠は諏訪盆地と松本盆地の境にあり、太平洋に注ぐ天竜川水系と日本海につながる信濃川水系の分水嶺でもある。富士の見る情景は坂を下ってくる人の背後に諏訪湖と富士が見えるという設定になっている。江戸から中山道を進むとき、塩尻峠は富士を目にする最後の地点となる。多くの旅人が富士を振り返って名残を惜しんだことであろう。夕暮れに雁の群れが帰って行く日の名残の憂いも重なり、富士への惜別の思いが伝わってくる。

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広重 富士三十六景 武蔵多満川

2016年08月05日 | Weblog

武蔵多満川

多満(多摩)川は、奥秩父に源流をもち、武蔵国、六郷、羽田をへて江戸湾へ注ぐ流である。古歌に詠まれた六つの名高い玉川のうちの、「調布の玉川」としても知られていて、江戸近郊の行楽地として親しまれていた。現在の東京都日野市付近の流れを描いたものと考えられる。この地には日野の渡しがあったが、水量の減る時期には、土橋を架けたと云われている。釣竿を持った父と子とおぼしき二人が、柳のそばに架けられた橋を渡っていき奥の方には釣り人の姿が小さく見える。かれらは多摩川名物である鮎つりを楽しんでいる様である。

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