切り絵

浮世絵を切り絵に

広重 名所江戸百景 上野山した 

2015年03月30日 | Weblog

上野山した」 

場所は題の上野山下とは、少し場所が違うようだ。森の中に鳥居が見えるが、これは仁王門前町の東側にあった五条天神であることが図でわかるため、下谷広小路と山下の間を描いたことになる。目立つように描かれている店の看板は、伊勢屋 しそめし(志楚)とある。二階は提灯と数人の女性がいることから、高級な料亭を思わせる。魚もヒラメであろうか、とびきり大きく描かれていて、さりげなく高級感を出している。この店は明治に入り店名を「雁鍋」として、営業を続けていたそうだ。手前には揃いの着物と蛇の目傘を持った一行がいる。これは当時、吉原遊女や習い事の師弟が花見に行くときに、お揃いの傘で行くのが流行っていた。

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広重 富士三十六景 武蔵越かや在

2015年03月25日 | Weblog

武蔵越かや在

越谷(現在の埼玉県越谷市)は日光道中(日光東照宮へと向かう街道)の宿場である。宿の中央を元荒州が流れ、北は大沢町、南は越谷町に分かれている。本図で取り上げられたのは宿場の中心地ではなく郊外である。川の土手一面に咲く菜の花と、その向こうに見える富士山という、うららかな春の情景である。川には渡し舟が、土手では散策を楽しむ人々の姿も見える。画面手前に桃色の花をつけた大小の異なる二本の木を配して遠近感を作り出している。

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広重 名所江戸百景 飛鳥山北の眺望

2015年03月17日 | Weblog

飛鳥山北の眺望

王子稲荷社の南にある飛鳥山には、この土地を一般に開放するために、八代将軍吉宗によって吉野の桜の苗木が植えられた。現在も桜の名所として愛されている。元文2年(1737)その経緯を記した「飛鳥山の碑」が建立され、今も残されている。高台にあることから、土器投げなども行なわれた。ここからの眺望はすばらしく、関東の山々が一望できた。西に富士、北に筑波山を見渡すことができ、画面中央に筑波山が描かれる。

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広重 江戸名所之内 上野東叡山

2015年03月08日 | Weblog

上野東叡山

 江戸城の鬼門を鎮護する地として定められた上野に建立された大寺院東叡山寛永寺は、広大な寺域をもち、江戸市民の絶好の遊楽地であった。清水堂付近をはじめとし、境内の花見はよく行われている。手前の文殊堂の辺りから、寺の中心の中堂と回廊の外観を描いている。前方には庶民が三々五々のどかに散策し、後方の堂の付近には、揃いの日傘を連ねた御殿女中の集団を描き、巧みな対照で、自然な行楽情景を表出している。

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