東海道五十三次 隷書版 川崎 2020年05月25日 | Weblog 隷書版「川崎」 隷書東海道揃物の一つ川崎。六郷川の中程で大勢の旅人を乗せた渡し船がすれ違うところで、河口からは米や味噌などの生活物資を載せ、川上の山村からは薪炭や鮎などの産物を運んでくる帆掛船が見える。
東海道五十三次 白須賀 2020年05月18日 | Weblog 「白須賀」 白須賀という地名の由来は、「白い砂州の上に開けた集落」であった為である。峠の上から遠州灘を一望できる潮見坂は、富士山が見える西方の限界といわれた場所で、反対に京都から江戸へ向かうと、此の汐見坂のあたりが初めて海を見下ろせる場所でもあった。この宿場は渥美半島の村々へ通ずる道の出発点でもあり、賑わっていた。大名行列の一行が黙々と坂を下って来る様子が道の勾配を感じさせる。
東海道五十三次 新居 2020年05月10日 | Weblog 「新居」 舞坂の今切の渡しから新居に向かう。遠くに見える向こう岸には箱根と並んで厳しい取締りが行なわれる新居関所が有る。ふき流しをはためかせ、二本の毛槍を高々と飾り立てた船は参勤交代の一行である。手前は旅人の船で間もなくのんびりとした短い船旅が終わる。 題字は「荒井」になっているが現在は「新居」が使われている。尚 「荒井」の町名は兵庫県と宮城県にある
東海道五十三次 舞阪 2020年05月01日 | Weblog 「舞阪」 舞坂から次の荒井までは舟渡しで、海上一里を行く。今までの徒歩での陸路の旅とは異なり、束の間の憩いの一時でもあった。明応七年(1498)の大地震で、浜名湖と海を隔てていた陸地が切れてしまい、「最近切れてできた渡し」ということから、「今切れの渡し」と云った。遠景には富士山が見える。