切り絵

浮世絵を切り絵に

広重 富士三十六景 甲斐大月の原

2018年09月21日 | Weblog

甲斐大月の原

広重が北斎の「冨嶽三十六景」に対抗して描いたと言われる「冨士三十六景」のうち、甲州街道大月から桂賀沿いに富士吉田に向かった辺り、大月ヶ原の眺めを描いた一枚。低い視点から秋草越しに富士を望む構図が、草むらに座り込んで景色を眺めているような印象を与えます。ススキ、桔梗、女郎花、野菊など、秋の草花をふんだんに描いた情景は、秋の詩情に満ちている。

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広重 名所江戸百景 京橋竹かし

2018年09月11日 | Weblog

「京橋竹かし」

四季の景を叙情的に京橋にかかる秋月を描写している。京橋は、慶長8年(1603)創架の日本橋と同じころに架けられた由緒ある橋で、この橋にも擬宝珠が見える。東岸には竹問屋が多くあったことから、竹河岸と称された。正月飾り・七夕飾り・竹垣・竹細工など、現在で考えられないほどの需要が江戸にはあった。月に照らされた竹がしの風情を、幾何学模様的に表現されている。

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広重 六十余州名所図会 備後 阿武門観音堂

2018年09月02日 | Weblog

「阿武門観音堂」

ポニョの街のモデルとなった鞆の浦に橋を新設する事業について裁判所が許可しなかった。その鞆の浦から海岸沿いに4∼5キロ西に行ったところにある阿伏兎(あぶと)岬に今もこの図と同様の威容を残すのが阿武門観音堂である。備後の国は現在の広島県東部、観音堂は福山市沼隈町に位置している。観音堂の歴史は古く (西暦992)年航海の安全を祈願して十一面観音像を本尊として花山法皇が創建。その後源平合戦で被害を受け一時荒廃するが、(1570)毛利輝元によって再建され、現在の姿となった。

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