切り絵

浮世絵を切り絵に

広重 名所江戸百景 目黒元不二

2018年03月20日 | Weblog

「目黒元不二」

目黒元不二は文化9年(1812)に築かれた富士塚で、のちに新富士ができたためこの名がある。高さは四丈(約12m)ほどだった。江戸時代後期には、富士信仰の高まりとともに多くの人々が富士登山を行なつたが、現地に赴けない人々は、このような富士塚に詣でた。元不二は明治11年(1878)に石嗣や鳥居が撤去されたが、その石嗣と富士講の碑石が上目黒氷川神社の境内に移された。天高く伸びる一本の樹は、村尾嘉陵(1761~1842)の紀行文『江戸近郊道しるべ』に「山の南の裾に、直にたちのびたる松一本あり」とある樹木で、画面左の桜の下には茶屋の床机があり、花見客たちが和やかなひとときを過ごしている。元富士があった場所は現在の上目黒一丁目付近にあたり、高級マンションが立ち並ぶ。

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六十余州名所図会 三河 鳳来寺山巌

2018年03月10日 | Weblog

「三河 鳳来寺山巌」

鳳来寺は愛知県東部の新城市にある鳳来山の山頂近くにある真言宗五智教団の寺院で大宝2年(702年)利修を開山し薬師信仰と山岳修験道の霊山として古くから信仰を集めた。徳川家康の両親が天下人となる男子を祈願して家康を授かったと伝わった事から幕府の庇護を受けていた。 参道の石段の数が1425段あり、徳川家光によって建てられた仁王門は国の重要文化財となっている。画面中央下の赤い楼門が仁王門、階段の途中に点在する建物は坊舎で、多い時には21の坊舎があった。

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広重 名所江戸百景 廓中東雲

2018年03月02日 | Weblog

廓中東雲

東雲は(しののめ)と読み、夜明けの意。早く帰宅の必要ある客たちが、明七ツ (午前四時) で、あわてて帰路につく。手拭いで顔を隠しながら早朝の吉原大門を出て行く客を見送る遊女たち。幕府はそれまで江戸市中に散在していた私娼を、郊外の葭町に集めて営業させることとした。吉原は「葭」の字がその名の由来となっている。

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