「鴻之台とね川風景」
江戸の中心部からはやや遠方にあたる鴻之台(千葉県市川市国府台) 鴻の台は下総台地の西端で、断崖を南下する川は利根川の分流にあたる現在の江戸川(新利根川)である。北方の物資を江戸に運ぶ重要な水路として機能しており、画中にも多くの高瀬舟が浮かんでいる。かつては下総国の国府が置かれていたため「国府台」とも書いたが、江戸時代には利根川にコウノトリが多く棲みついたことから「鴻台」と称するようになったという。鴻之台からは遠く富士の姿も見え、画中にも行楽客らしい三人の姿が描かれる。
「鴻之台とね川風景」
江戸の中心部からはやや遠方にあたる鴻之台(千葉県市川市国府台) 鴻の台は下総台地の西端で、断崖を南下する川は利根川の分流にあたる現在の江戸川(新利根川)である。北方の物資を江戸に運ぶ重要な水路として機能しており、画中にも多くの高瀬舟が浮かんでいる。かつては下総国の国府が置かれていたため「国府台」とも書いたが、江戸時代には利根川にコウノトリが多く棲みついたことから「鴻台」と称するようになったという。鴻之台からは遠く富士の姿も見え、画中にも行楽客らしい三人の姿が描かれる。
「伯耆大野大山遠望」
田植えは、5月に行われ、当時は一斉に行われたようである。雨の中の作業を描いているので、蓑や着茣蓙を着、菅笠をかぶっている。雨模様の天気でありながら、人々の表情が明るいこともあって「恵みの雨」といった風情をかもし出している。人物描写にたけた広重は、手前の畔に置かれた苗までも詳細に描き、遠くの天秤棒で苗を運んでいる人の様子も丁寧に描いている。大山は、主峰の弥山が標1711mで、中国地方の最高峰の山である。大野から大山を遠望した図であるが、この周辺に大野と称する地がない。