切り絵

浮世絵を切り絵に

東海道五十三次 保土ヶ谷

2019年07月21日 | Weblog

保土ヶ谷

帷子川に架けられた新町橋を渡ると、保土ヶ谷の宿である。街道の両側が宿場の家並みになってる。江戸時代に参勤交代の大名が宿泊する「本陣」が各地に置かれていたが、江戸を出て最初の本陣が保土ケ谷だった。昭和31年に帷子川の工事で流れが変わり,現在は広重が描いた場所には帷子川は流れていない。橋が架けられていた場所は「天王町駅前公園」として整備され跡にはモニュメントが設置されている。

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広重 東海道五十三次 神奈川

2019年07月11日 | Weblog

「神奈川」

神奈川宿は現在の横浜の中心部より北東の台地に位置にある。宿場の街道沿いには景色を売り物にする茶屋が並び眺望の良いところであった。右の坂道には宿屋が並び、江戸からの旅人はここで最初の宿をとった。左側には船着場として栄えた港が描かれている。水平線上につきでているのは野毛山、その先の半島は本牧岬であろう。

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東海道五十三次 川崎

2019年07月01日 | Weblog

「川崎」

川崎宿は当初宿場ではなかった、品川宿〜神奈川宿の間が長距離で負担が大きかったため、後から宿場として設置された。保永堂版では、川崎宿に入る川の渡しが描かれている。右奥には富士山も見られる。暴れ川として知られた六郷川を渡ると川崎に入る。江戸中期から弘法大師信仰が盛んになると,川崎にある真言宗の寺「川崎大師」は、江戸をはじめ近郊から参詣者が多く訪れた。一服する商人や旅姿の武士等のどかな渡し場風景だが、旅人にとって川は時間と金が掛かる厄介なものだった。

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