切り絵

浮世絵を切り絵に

一年前のブログ 隷書版 東海道

2021年05月26日 | Weblog
 
東海道五十三次 隷書版 川崎
隷書版「川崎」隷書東海道揃物の一つ川崎。六郷川の中程で大勢の旅人を乗せた渡し船がすれ違うところで、河口からは米や味噌などの生活物資を載せ、川上の山村からは薪炭や鮎などの産物を運......
 

 

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渓斎英泉 木曽海道 板鼻

2021年05月22日 | Weblog

「板鼻」

板鼻宿は英泉が描いた物だが、広重が一貫して用いていた「木曽海道」が此処では使われている、不思議な作品である。板鼻宿本陣跡は板鼻公民館近くにある。現在もやや幅の広い用水路が綺麗な水を流している。野も樹も家も白銀に装われ、静寂そのもの世界を描出している。

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一年前のブログ 保永堂版東海道

2021年05月20日 | Weblog
 
東海道五十三次 白須賀
「白須賀」白須賀という地名の由来は、「白い砂州の上に開けた集落」であった為である。峠の上から遠州灘を一望できる潮見坂は、富士山が見える西方の限界といわれた場所で、反対に京都から......
 

 

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木曽海道 高崎

2021年05月14日 | Weblog

「高崎」

高崎宿から三国街道が分岐しており、その起点の宿場である。現在の群馬県高崎市にあたる。中山道と三国街道の分岐点にあたり、幕府の佐渡金山からの人馬車など多くの旅人が横行していたが、当時はあまり大きな宿場ではなかった。旅人に物乞いする男を描いており、今では観ることのない光景を表現している。国定忠治や大前田栄五郎が活躍したのは此の辺りである。次回は板鼻宿

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一年前のブログ

2021年05月11日 | Weblog
 
東海道五十三次 新居
「新居」舞坂の今切の渡しから新居に向かう。遠くに見える向こう岸には箱根と並んで厳しい取締りが行なわれる新居関所が有る。ふき流しをはためかせ、二本の毛槍を高々と飾り立てた船は参勤......
 

 

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英泉 木曽街道 倉賀野 宿烏川之図

2021年05月05日 | Weblog

倉賀野 (群馬県高崎市)

烏川は利根川の上流で江戸との間に舟運が開けていた。倉賀野宿は商人ばかりでなく河川で働く船頭や、荷役、船大工、街道筋で働く牛方、馬方で賑わっていた。川縁に建つ茶屋が描かれている。小川に張り出した桟で女が束子で釜を洗っている。小川に流れ込む用水で子供が網で魚を捕ったり、亀を捕まえたり,水門に上がり遊びに夢中である。茶屋では菅笠と杖を脇に置いて休んでいる旅の女が子供たちの遊んでいる様子に見入っている。 

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一年前のブログ 東海道 舞阪

2021年05月02日 | Weblog
 
東海道五十三次 舞阪
「舞阪」舞坂から次の荒井までは舟渡しで、海上一里を行く。今までの徒歩での陸路の旅とは異なり、束の間の憩いの一時でもあった。明応七年(1498)の大地震で、浜名湖と海を隔てていた......
 

 

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