切り絵

浮世絵を切り絵に

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2024年11月03日 | Weblog
 
六十余州名所図会 因幡
「因幡」 加路小山小山とは、鳥取県鳥取市湖山町にある千代川河口西岸の湖山砂丘(鳥取砂丘の一部)周辺の地名である。図にも見えるように湖山池には青島、猫島などと呼ばれる無数の......
 

 

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富嶽三十六景 武州玉川

2024年11月01日 | Weblog

武州玉川

多摩川は大きな川だから、下流では対岸が霞んで見えただろう。川幅からして中流域を描いたのだとわかる。川の中ほどには、客と荷を積んだ渡し船が浮かび、手前の河原では、荷を積んだ馬を引っ張る男が渡し船の様子を眺めている。船頭は、流されまいと必死に漕いでいるように見える。富士山は、霞の上に頭を出しているように描かれている、霞と川の境界は一部ぼやけている。そうすることで、富士が遥か彼方にあるということを強調しているのだろう。その割には、富士は大きい。

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2024年10月28日 | Weblog
 
六十余州名所図会 但馬 岩井谷
「但馬」 岩井谷本図は、『山水奇観』を参考に描かれており、実際に描かれた岩井谷の場所は2つの説がある。一つは、但馬の国と県境の牛ヶ峰山の峡谷付近とする説。もう一つは兵庫県......
 

 

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富嶽三十六景 武州千住

2024年10月21日 | Weblog

「武州千住」

武州千住は、いまの足立区千住。そこから眺めた富士を描いている。二人の人物が釣り糸を投げているが、これは隅田川の支流で釣りをしているのだと思われる。恐らく綾瀬川あたりではないか。右手に四本の柱からなる構築物があるが、これは水門だろうか。その手前には荷を積んだ馬と、馬を引っ張る男が描かれている。男は釣りをしている二人の様子に眺め入り、馬の方は何やら興奮している様子だ。手綱に結わえられた藁草履が気になるのかもしれない。

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2024年10月20日 | Weblog
 
六十余州名所図会 丹後
「丹後」天橋立日本三景の一つである天の橋立。日本三景は元々、江戸時代の儒学者林春斎が全国を歩いて記した『日本国事跡考』に登場する絶景三カ所をあげたもの。天の橋立は、野田川......
 

 

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富嶽三十六景 青山円座松

2024年10月11日 | Weblog

「青山円座松」

青山円座松とは、青山の龍岩寺(現在の渋谷区神宮前)にあった笠松のことをさすらしい。一方、富士のほうも、青山から見たにしては不相応に大きく描かれている。富士と言い、笠松と言い、実物よりはるかに大きく描いたのには、構図上の都合が絡んでいるようだ。富士と松とは一体になって、富士の頂を頂点とした三角形を描いているし、また、富士と松に挟まれた空間は逆三角形を描いている。この逆三角形は、逆さ富士(水面に映った富士)をもじったつ様だ。

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2024年10月09日 | Weblog
 
六十余州名所図会 丹波 鐘坂
「丹波」 鐘坂鐘が坂は、谷深くの交通の難所として有名であったが、明治以降は整備されて、現在は国道が通る場所である。この場所には、「鬼の架け橋」と呼ばれる奇岩があり、大江山......
 

 

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富嶽三十六景 東都駿台

2024年10月01日 | Weblog

「東都駿台」

駿台とは駿河台の略称。今の御茶ノ水駅付近の、神田川の南側の台地のことを指す。このあたりには幕臣が多く住んでいたことから駿河台と名づけられた。。神田川は江戸城の外堀を兼ねていたという機能上のこともあって、両岸を切り立った壁に囲まれている。神田川に通じる斜面を、大勢の人々が行きかっている。棒振りや行商人など町人の姿が多いが、中には家来を従えた武士の姿もある。駿台を含めた神田界隈は、徳川時代から多様な人々がともにくらす賑やかな場所だった様だ。

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2024年09月29日 | Weblog
 
六十余州名所図会 佐渡
「佐渡」 金やま日本海に浮かぶ佐渡島の金山は金銀を産出し、幕府のあった江戸まで航路で運んで発展した。特に、金の産出は幕府の財政を助け、慶長6年が産出量の最盛期であったがそ......
 

 

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2024年09月22日 | Weblog
 
六十余州名所図会 越後
「越後」 親知らず親不知は、新潟県糸魚川市青海から市振までの10kmに及ぶ海岸線にあり、断崖が海に落ちると形容されるほど高く険しい。旅人にとっては難所の一つであった。本図......
 

 

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富嶽三十六景 深川万年橋下

2024年09月21日 | Weblog

「深川万年橋下」

深川万年橋は深川を東西に貫く掘割小名木川が隅田川に合流する河口にある。江戸川河口の浦安で取れた塩や、その周辺の畑でとれた野菜を江戸に運ぶ役目を果たしていた。太鼓橋の下からのぞいた富士と、橋の下を行きかう船、そしてのんびりと釣り糸を垂らす男、こうした組み合わせが、なんともいえないのんびりとした雰囲気を出している。眼に見えたとおりに描くのではなく、描きたいように対象を組み合わせる。これが北斎の基本的な姿勢だった様だ。

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富嶽三十六景 山下白雨

2024年09月10日 | Weblog

「山下白雨」

「山下白雨」は「神奈川沖浪裏」及び「凱風快晴」とともに富嶽の「三役」と呼ばれ、北斎版画の中でもっとも人気の高い作品である。題名の「山下白雨」とは、富士山の裾のほうで白雨が降っている様子を表している、白雨とは明るい空から降るにわか雨のことだが、北斎はその雨の様子を稲妻で表現している。

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2024年09月09日 | Weblog
 
六十余州名所図会 越中
「越中」 富山船橋富山湾に続く神通川は、川幅が広く流れが急である。対岸に橋を渡すのが困難であったが、北陸街道の発展により橋の需要が高まり、船橋が架けられた。船橋は、数十隻......
 

 

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2024年09月04日 | Weblog
 
六十余州名所図会 能登
「能登」瀧ノ浦能登半島は富山湾と日本海に挟まれた突端の半島で、富山湾側を内浦、日本海側を外浦と呼び、対称的な風景が見られる。本図は、日本海側の景色で、荒々しく浸食された奇......
 

 

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富嶽三十六景 凱風快晴

2024年09月01日 | Weblog

凱風快晴

凱風快晴は「赤富士」とも呼ばれるが、それは赤く染まった富士を描いていることから来る。富士が赤く染まるのは、実際に起る現象で、夏の早朝に起りやすいという。それも甲州側(山梨県)から見られるそうだ。甲州側からだと、朝日を逆光に浴びた富士が赤く染まって見えるのだという。北斎はそんな言い伝えを意識しながら、赤富士の美しさを表現したと思われる。

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