名所江戸百景 神田紺屋町 「神田紺屋町」江戸時代同じ職種に属する職人たちは、一ヶ所に固まって住み、その職種を町名にしてた。染物の町 神田紺屋町の風景である。紺屋町は、江戸初期より、幕府お抱えの職人が住み...... >続きを読む
春日井市在住、1935年私的な挿絵等に全て自由にご使用ください。
「濱松」
東海道の半ばを越えた濱松。冬枯の原野は寂しい。一本杉の傍らでたき火を囲んで、たばこを吸いながら暖をとる農夫たちのところへ、旅人が冷えた体を暖めようと話しかけて来る。世間話に花が咲く。遠景の浜松城は、若き徳川家康が居城としていた所、その左右に町が広がっている。
「見附」
天竜川の東岸に見附の宿場がある、遠江国の国府であったこの地は、江戸時代以前東海道最も栄えた宿場町だった。京都から江戸へ向かうと初めて富士山が見える事から「見附」と言われた。信濃・諏訪湖を源にする天竜川は、荷役人よって川渡りをしていた。大水になれば川幅約1㎞を一気に渡る事も出来たが、渇水時はこのような光景になる。
「袋井」
袋井宿は東海道五十三次の東西どちらからも27番目の、真ん中の宿で東西文化の中間点として、物資と人々の往来や、秋葉山への参拝客などで賑わったといわれていた。四方を丘に囲まれた袋状の土地に大きな井戸があったので袋井といわれている。宿はずれにあった粗末な出茶屋の様子が描かれている。葦簀掛けの小屋で休息を取る飛脚や、茶屋の女房が茶を飲みながら楽しげに談笑するのどかな風景だ。
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