切り絵

浮世絵を切り絵に

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2024年06月12日 | Weblog
 
六十余州名所図会 飛弾 籠わたし
「飛弾」(飛騨) 籠わたし飛騨地方は、山奥にあり橋を架けることが困難な場所が多くある。そのため、渓谷の間に縄を渡し宙づりにした籠に荷物や人を載せる「籠渡し」が行われていた......
 

 

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六十余州名所図会 肥前

2024年06月11日 | Weblog

「肥前」 長崎稲佐山

肥前国は九州西北部に位置し、現在の長崎、佐賀の二県にまたがり、また前海という筑紫海は一大内海となって、肥前、肥後、筑後の三国に深く接入している。長崎港は土砂が堆積し、明治以降は埋め立てにより江戸時代の美しい海岸線は失われてしまった。海外貿易の象徴であった出島もこの時に周囲を埋め立てられた。本図では、海岸線にこそ船が描かれていないが、手前のマストでこの地が交易船で賑わっていたことが想像できる。

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2024年06月02日 | Weblog
 
六十余州名所図会 美濃 養老の滝
「美濃」 養老の滝岐阜県南部にあたる美濃国。養老の滝は、孝行息子の孝心により滝の水が銘酒に変わったという言い伝えがある。本図では大きな滝に見えるが、実際の養老の滝は幅4m......
 

 

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六十余州名所図会 豊後

2024年06月01日 | Weblog

豊後」 蓑崎

国東半島の南部に位置する杵築は、杵築城を中心に武家屋敷や豪商の家が多く、現在でも古い街並の面影を残している。その杵築城の前にある守江湾の東にある岬が蓑崎と呼ばれ、現在は美濃崎と表記される。守江湾を区切るように砂嘴が伸び、白浜に松原が続く風景は美しい。本図では、砂嘴に打ち寄せる波の白が、山まで続く灰色の陸地に対比し美しい。

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2024年05月22日 | Weblog
 
六十余州名所図会 近江 琵琶湖 石山寺
「近江」 琵琶湖 石山寺近江の国は現在の滋賀県がそのままあてはまる。滋賀の象徴とも言える琵琶湖は楽器の琵琶をさかさまにしたような形からその名が付いた様だ。近景には茶屋の賑......
 

 

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六十余州名所図会 豊前

2024年05月21日 | Weblog

「豊前」 羅漢寺 下道

中津市は、福岡県と大分県の境目に位置し、南部に名勝・耶馬溪を控える。羅漢寺下道とは、羅漢寺に至る道で、菊池寛の小説『恩讐の彼方に』の舞台になったことでも知られる。岩が削られたトンネルの様な道は、ノミと槌だけで工事され、完成まで30年かかったと言われる。その独特の景観を丁寧に描写し、行き交う旅人も描かれている。

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2024年05月15日 | Weblog
 
六十余州名所図会 常陸 鹿嶋大神宮
「常陸」 鹿嶋大神宮鹿嶋神宮は神武天皇の創建と伝えられ、武士からの信仰が篤かった。本図では、海に突き出した鹿島神宮の一の鳥居が描かれているが、鳥居の横木が飛び出ていない間......
 

 

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六十余州名所図会 筑後

2024年05月11日 | Weblog

「筑後」 簗瀬

題名の簗瀬とは、漁法のことで、画面中央右のような竹で編んだ柵の仕掛けに魚を誘導するもの。川の全域に罠を張るのではなく、縦に2つに分け片方に罠を仕掛け、片方は船の通路にする為、図の様な土波を築いている。この地の伝統的な漁法が、景観の大事な要素になっていることが分かる。

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2024年05月06日 | Weblog
 
六十余州名所図会 下総 銚子の濵
「下総」 銚子の濵 外浦題名に外浦とあるが、現在そのような呼称はなくなっている。画面右に屏風ヶ浦の奇岩(四角い岩)が描かれているので銚子港付近だと分かる。中央には千騎岩と......
 

 

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六十余州名所図会 筑前

2024年05月01日 | Weblog

「筑前」 筥崎

玄界灘に突き出した砂嘴は、荒波を受け止め、穏やかな博多湾を作った。画面の上が博多湾、下が玄界灘で、二つの海を分ける砂州は長さ12kmにもなった。現在は、住宅や観光施設が多いが、当時は鳥居が置かれ志賀海神社の入口であった。

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2024年04月26日 | Weblog
 
六十余州名所図会 上総 矢さしか浦
「上総」 矢さしか浦上総の国は現在の千葉県の房総半島の北部にあたる。伝承に拠れば「矢さしか浦」というのは矢指浦で、古名は玉の浦というが源頼朝の命令で1里ごとに矢を指したの......
 

 

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六十余州名所図会 土佐

2024年04月21日 | Weblog

「土佐」 海上 松魚釣

土佐の高知沖は、黒潮に運ばれてくる鰹が多く、鰹の漁獲量は日本屈指の地域であった。藩主山内氏が鰹節を贈答品として各所に贈ったことで土佐の特産物としても有名になった。本図では、小舟に乗った数人の漁師が勢いよく鰹を釣り上げる風景が描かれているが、揺れる波の表現と水面に顔を出す鰹の描写が漁の活気を伝えてくれる。

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2024年04月17日 | Weblog
 
六十余州名所図会 安房 小湊 内浦
「安房」 小湊小湊は、日蓮上人誕生の地で、上人に由来する、様々な場所がある。中央左上に一際大きな建物が見えるが、これは上人誕生を記念して建立された誕生寺である。画面中央で......
 

 

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六十余州名所図会 伊豫

2024年04月11日 | Weblog

「伊豫」 西条

西条は、松平家が藩主となり明治までの200年間、松平3万石の城下町として栄えた。図では、中央左に三層の城が建ち並んでいるが、実際にはこのような立派な城ではなく、陣屋のような規模のものだった様だ。背景に一際大きく描かれている山は、標高1982mで西日本最高峰の石鎚山である。画面手前に帆を描くことで、舟からの景色であると想像できると同時に、西条までの遠近感を表現している。

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2024年04月05日 | Weblog
 
六十余州名所図会 江戸 浅草市
「江戸」 浅草市浅草寺の境内で行われた歳の市の様子を描いている。歳の市は、毎年12月17、18日に行われ、注連飾りや蓬莱飾物などの年始の準備品が売られている。六十余州名所......
 

 

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