「宮の腰」
木曽山中の、宮の腰には「谷中狭きゆえに、田畑まれにして村里少なし、寒気激しきゆえ土壁無く、みな板壁なり、竹と茶に木まれなり寒甚だしきゆえ栽ふれど枯る」気候寒冷に加えて貧困の中に生活する人が多かった。霧深くうるんだ月影に親子五人家族の夜道を歩む姿が描かれている。この木曽谷には、明治時代に野麦峠を越えた「糸引き女工」物語もある。
春日井市在住、1935年私的な挿絵等に全て自由にご使用ください。
コメント利用規約に同意する
フォロー中フォローするフォローする
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます