KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

入り鉄砲に出女

2015-02-21 20:05:11 | まち歩き
今週は、静岡への急な出張で1週間が終わった感じ。
仕事は夕方から夜間だったので、昼間は寝て過ごす、というスタイルでしたが、少し体が慣れたころ、出番が来るまで寝ているだけというのも勿体ない気持ちも起きたので、ある日思い切って、泊まっていたビジネスホテルを飛び出して外出。

ということで、行ってきたのはこちら。


関所です。東海道で箱根と並ぶ「新居関所」の跡地。

関所の建物は安政2年(1855)年から5年かけて建替えられたもの。
現在関跡は見学可能で、隣接する資料館も見学できるというので、入ってみる。




江戸時代の関所といえば「入り鉄砲に出女」という言葉を思い起こすが、「出女」に関しては、大名の妻が江戸から国元へ帰ることを厳しく制限していたため、「あらため女」という女性が関所を通過しようとする女性を徹底的に調査した。髪の毛まで調査されたり、時には裸にされたり。そのためか、男装して通過しようとする女性も多かったらしい・・・。

(写真は新居関跡パンフより)

その部屋が「女改長屋」というが、現在は存在せず(その場所は公衆トイレになっていた?)、その様子が別室にて再現。柱の陰になってしまったが、これが「あらため女」


今進められている復元工事の進捗に伴って、建物を復元する予定という。

関所の東側は、石積みの護岸壁になっている。


じつはこの新居(荒井)関から舞阪までは海(浜名湖)上航路で続いており、写真の後方、新居町~舞阪あたりまでは後年埋め立てられた土地だという。浮世絵にも、関所のすぐそばに船や船着き場が描かれており、その様子がうかがえる。


街並みは昔の風景を再現すべく、歩道や信号、街灯の整備を進めている。これは関所の西側にある「大御門」。


関所の西側、泉町には、当時の長屋もいくつか残っており、






そのうちのひとつ「旅籠 紀伊国屋」は、紀州藩御用達の船割宿でありながら一般客も利用できた。





新居町の駅。前述の通り、この辺りは昔湖の上だった・・・。


列車を待つ間、平行する新幹線の撮影を試みるが、とにかく速い。


ケータイカメラじゃなかなかタイミングが合わない。やっとこれなら見せられる・・・かな(_ _;
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 急に出張・・・ | トップ | カメラを持つ少年に »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

まち歩き」カテゴリの最新記事