2016年夏のオリンピック開催地は、南米ブラジルのリオデジャネイロに決定。
最終候補に残った東京は惜敗・・・ガン○ムもお台場で応援していたんですがね。
TVで昨夜、国際会議の模様を観ていたけど、候補都市のうちリオとマドリードは最終選考に残ったこともあり、市民総出のお祭り騒ぎなのに対し、一部地域でしか盛り上がらなかった感のある東京・・・もっとも、時間が深夜だったのはしかたないこととして。
東京の敗因を分析する記事を読むと、「都民の支持率が低かった」「華になる人がいなかった」などいろいろ。ある記事によると、開催に反対する一派が会議のある都市で招致反対をPRしていたそうで。TVでは落胆する五輪招致関係者の模様が頻繁に中継され、石原都知事の悔しさ満点の会見も流されたが、反対派のことについてはなにも放送されなかった(見逃した可能性アリ?)。彼らの願望が叶い、歓喜溢れる姿を見たいと思うのはさすがにひねくれ者のぼくだけか?
ちょっと前まで、TVのニュースでは、東京五輪の話題がでてくるたび、都民の支持率が相変わらず低いとか、五輪にかこつけて税金の無駄遣いするだとか、東京で2回も開催する意味がわからないとかいうインタビューを報道し続けてきたはずなのに、直前になってそんな反対の立場は影を潜め、どの局も東京で五輪の夢を実現へ!なんて言い始める。そして日付がかわってすぐに東京の落選が決まると、「一体何がいけなかったのでしょうか?」の話題になり、堰を切ったように先ほどのような理由付けを始める。
報道というのはある種きわめて中立というか、調子がいいというのか・・・。
もちろん、もし東京でオリンピックが実現すれば、最小限とはいえ、東京全体を再開発することは間違いないだろう。そうすれば今何かと問題視(?)されている公共工事もやっているぼくの勤める会社も少しは持ち直すかなぁ、と淡い期待をしていたんだけどね。
今回の五輪招致ではまだまだハード(インフラ整備とか)、ソフト(企画コンセプト、市民の心)とも準備不足の感がした。なので、4年後に再びオリンピックを招致するのであれば、いつ開催してもおかしくないですよと言えるような都市づくり、街の環境づくりをしてほしいと思う。
しかし市民、あるいは国民の全体的な意志が、ある程度統一されないと、オリンピックのような国の威信をかけるような国際的イベントは成功しないんじゃないかなとも思う。裏を返せば、アメリカや日本のような成熟しきった国、賛成も反対も自由に言うことができる国では、オリンピックを開催することは今後非常に困難になるかもしれない。今回招致の決まったリオデジャネイロの熱狂的な街の様子を中継で見ていて、そんなことを思った。
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