先日、ある有名人の子育てに関するインタビュー記事が、ネット上で炎上騒ぎにまでなった。
子供が勉強をせず携帯ゲーム機に夢中になっているというので、母親であるその人が子供のゲーム機を粉々に壊し、「ゲームが二度とできなくなることより、お母さんへの信頼を失ったことを考えろ」みたいなことを言い、「親が子供になめられるような態度をとるのはよくない」と同じ親に対してメッセージを発信している。これに対し、その壊されたゲーム機を記事に載せたことや、子供のものを親が取り上げ挙句壊してしまう行為そのものが虐待に当たるのではとの批判が相次ぎ、それがいつしか、炎上にまでエスカレートしてしまったのだろう。
どんな理由であれ、「物」を壊す行為は、やはりよくないと思う。もっといえば、しつけや教育という「いかにも正当」っぽく聞こえる理由で、後々壊される(壊す)かもという不安があるなら、最初から子供にゲーム機など与えるものではない。
もしこれがゲーム機でなく、たとえば飼っている猫だとしたら・・・?
子供が宿題もせず、親の言うことを聞かず、猫と遊んでばかりいたら、その親は猫の首をへし折って殺してしまいかねない・・・といった、おおよそありえない極端な意見もあったが、今回言いたいのはそういうことではない。
子供のころは、お小遣いも多くなかったから、それこそゲーム機や高価なオモチャなど、なかなか買ってもらう機会もなく、せいぜい誕生日か、クリスマスや正月のときや、ある程度纏まったお金がある時ぐらいなものだった。
ファ○コンは比較的早くから持っていたが、持ってるゲームは数えるほどしかなかったし、どうしても遊びたいゲームがあれば、さきの買う機会が来るまで我慢するか、友達が持っていれば借りたり、友達の家で遊ばせてもらったり。
それだけ大事に使ってきたことと、「ゲームは1度に1時間まで」などとルールを決めていたから、遊び過ぎて怒られて壊されることもまずなかった。
そんな癖(?)が大人になった今もしみついているのだろうか?一度手にしたものは、なかなか手放さないし、捨てられない。
それは、モノを手にしたときの苦労や思いが少しでもあるからで、何の気なしに売ったり捨てたりできるのは、そのモノに何の思い入れもないときだけ。また逆に、「大人買い」「箱買い」というような、大人の財力を利用して大量に占有することにも抵抗を感じる。これも思い入れが薄まってしまう要因だから。
モノを大切にする、って教育が、いつの間にかおざなりになっているのではないか、と思うときがある。
と思えば、最近は部屋に何にもおかない、という生活をする若者が増えてきているという。
自分が必要と思うモノを除いて部屋には他に何もない。着ている服も必要最低限しかなく、飽きてしまえば売るとか。テーブルもテレビもなく、食事もインスタントか、外食。
決してお金(稼ぎ)がないわけではなく、その分、友人との付き合いや旅行などにお金を費やしているから心の不安はないという。この辺は、子供時分にすごした時代の影響を多少なりとも受けているから、信じられないという思いがありつつも、そんな生活を否定することはできない。
長々書いてきたけど、「物を大切にしよう」という、昔某船舶振興会の○川会長がCM(これを知っている人はまず間違いなく40代以上と思うが・・・)で言ってた言葉を、今一度思い返す機会かもしれない。
子供が勉強をせず携帯ゲーム機に夢中になっているというので、母親であるその人が子供のゲーム機を粉々に壊し、「ゲームが二度とできなくなることより、お母さんへの信頼を失ったことを考えろ」みたいなことを言い、「親が子供になめられるような態度をとるのはよくない」と同じ親に対してメッセージを発信している。これに対し、その壊されたゲーム機を記事に載せたことや、子供のものを親が取り上げ挙句壊してしまう行為そのものが虐待に当たるのではとの批判が相次ぎ、それがいつしか、炎上にまでエスカレートしてしまったのだろう。
どんな理由であれ、「物」を壊す行為は、やはりよくないと思う。もっといえば、しつけや教育という「いかにも正当」っぽく聞こえる理由で、後々壊される(壊す)かもという不安があるなら、最初から子供にゲーム機など与えるものではない。
もしこれがゲーム機でなく、たとえば飼っている猫だとしたら・・・?
子供が宿題もせず、親の言うことを聞かず、猫と遊んでばかりいたら、その親は猫の首をへし折って殺してしまいかねない・・・といった、おおよそありえない極端な意見もあったが、今回言いたいのはそういうことではない。
子供のころは、お小遣いも多くなかったから、それこそゲーム機や高価なオモチャなど、なかなか買ってもらう機会もなく、せいぜい誕生日か、クリスマスや正月のときや、ある程度纏まったお金がある時ぐらいなものだった。
ファ○コンは比較的早くから持っていたが、持ってるゲームは数えるほどしかなかったし、どうしても遊びたいゲームがあれば、さきの買う機会が来るまで我慢するか、友達が持っていれば借りたり、友達の家で遊ばせてもらったり。
それだけ大事に使ってきたことと、「ゲームは1度に1時間まで」などとルールを決めていたから、遊び過ぎて怒られて壊されることもまずなかった。
そんな癖(?)が大人になった今もしみついているのだろうか?一度手にしたものは、なかなか手放さないし、捨てられない。
それは、モノを手にしたときの苦労や思いが少しでもあるからで、何の気なしに売ったり捨てたりできるのは、そのモノに何の思い入れもないときだけ。また逆に、「大人買い」「箱買い」というような、大人の財力を利用して大量に占有することにも抵抗を感じる。これも思い入れが薄まってしまう要因だから。
モノを大切にする、って教育が、いつの間にかおざなりになっているのではないか、と思うときがある。
と思えば、最近は部屋に何にもおかない、という生活をする若者が増えてきているという。
自分が必要と思うモノを除いて部屋には他に何もない。着ている服も必要最低限しかなく、飽きてしまえば売るとか。テーブルもテレビもなく、食事もインスタントか、外食。
決してお金(稼ぎ)がないわけではなく、その分、友人との付き合いや旅行などにお金を費やしているから心の不安はないという。この辺は、子供時分にすごした時代の影響を多少なりとも受けているから、信じられないという思いがありつつも、そんな生活を否定することはできない。
長々書いてきたけど、「物を大切にしよう」という、昔某船舶振興会の○川会長がCM(これを知っている人はまず間違いなく40代以上と思うが・・・)で言ってた言葉を、今一度思い返す機会かもしれない。