KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

天才vs組織という構図に思うこと

2014-11-07 00:05:30 | 日記・エッセイ・コラム
「ドクターX」というドラマがある。大病院の中でひとり派閥に属せず、したがって組織のしがらみに左右されない女医が、天才的な手腕で難度の手術を華麗にこなす、というストーリのようで、親は毎週見ている。が、ぼくはどうにも気に入らない。

なぜかと考えたら、結局「組織を見下している」というふうに、彼女を見ていたから、という、ひとつの仮定にたどりついた。


 先日、青色LEDでノーベル賞受賞したN教授も、ぼくには同じタイプのように見える(彼については、ネット上で社内での目に余る行為が公開されているようだが、それを鵜呑みにするつもりはないが)。発明の対価を巡って、勤めていた会社に高い報奨金を求めて裁判を起こし、結果8億円を勝ち取ったのと同時に、日本企業への失望さをこれでもかとまくしたて、国籍まで捨て(?)海外に国籍を移してしまった。もっとも、彼にとってはそれが性に合っていたのかもしれないが。
 

 そんなN教授、今回の受賞をきっかけに、元の会社と仲直りしたいと言ったが、会社側は丁重にそれをお断りしたという。

当然な結果かもしれないが、ちょっと立ち止まって考えたとき、もし会社側に冷静な、N教授に対するビジネスパートナーとしての考えを持っていたなら、状況は少し変わっていたかもしれない。N教授が「情念」の人であったがために、会社側にも「何だ今さら」という感情論が先行してしまった結果のようにも感じた。


 こうした「天才vs組織」という、単純な構図に落とし込むと、受け手には非常にわかりやすいストーリーに仕上がる。正しいかそうでないかという話は別として。

 しかしそんな「天才」が、ストーリー上、「正義」のスタンスをとれば、組織側はどんなに努力しても「悪」にしか映らなくなってしまう。しかもそれに乗っかったメディアがこの「天才」を過剰に持ち上げ、対する「組織」にはこれでもかと叩きまくる、そしてそれを喜ぶひとがいる。

理系出身の自分で、技術職を経験した身としては、忸怩たる思いだ。自分の選んだ道はそんなに間違っているのかと、突き付けられているようで。


大きなお世話だ、といいたい。
コメント
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