KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

彼らに問う、ほんとに誰でもよかったのか

2008-07-24 21:36:12 | 日記・エッセイ・コラム

 朝起きたら今度は岩手で震度6強の地震・・・。地震大国といわれていても、大きな地震が立て続けに起きると、こんどはいつ自分の地域が、地域が・・・、と思わざるを得ない。備えあれば憂いなし、てなわけで、まずは崩れそうな雑誌の山を何とかしようかしらね。

 しかしどうして、このての事件が後を絶たないのか?またしても無差別通り魔事件が、こんどは八王子で起きた。閉店前の書店を襲い、女性2名が死傷。犯人は33歳の男ということで、はからずもつい先日、同じ33歳となった自分としても、また同じこといわなきゃならんのかと思うと、もうがっくりしてしまう。

 ニュースで事件を知るにつけ、ここ最近のいわゆる「通り魔事件」といわれるもののキーワードとして、「むしゃくしゃしている」「家族または社会に不満がある」と思う一方で、「犯罪を起こせばマスコミが自分に注目するに違いない」「事件を起こせば親を困らせられる」という自己顕示欲も持ち合わせている、普通に考えれば結びつくはずもない事柄の筈なのに、なんと安易に結びつけられる(飛躍している?)だろうと思ってしまう。そして最大の共通点が「襲う相手はだれでもよかった」。これほど無責任なものもないだろう。この犯人にしても、こどもの時におそらくは挫折をしらずに育ったのではないかと思う。また親の過保護(?)に育ち、「仕事がうまくいかない」「親が相談に乗ってくれない」と、33歳とは思えぬ供述にも、怒りよりも、甘ったれた人間性を感じてしまう。

 しかしどうなのだろう?こうした凶悪事件が起きるたびに、ワーキングプアとか、派遣社員とか、格差社会とかいうキーワードが飛び交い、それらが複雑に絡み合って事件を引き起こす一因となっている。そして同じように苦しんでいる若者が大変に多い。ということは、この社会を改善しなければ事件はなくならないと、ニュースやマスコミはいう。その一方で、見ず知らずの人間に襲われ、はからずも命を落とされた被害者については、明るく素直でまじめで、将来を期待されていたとして、そんな人の将来を奪った犯人の残虐さを際だたせることにも躍起になっている気がする。

 このような事件で一番迷惑するのは、おそらく犯人と同じ立場の、ワーキングプアとか、派遣社員とか、格差社会とよばれるものに苦しんでいる人なのではないだろうか?世間から彼らにますます冷たい目を向けられ、社会が改善するどころか、明日の生活さえままならなくなる状況に追い込まれることを一番恐れているのではないだろうか。

 追いつめられたとき、「窮鼠猫をかむ」ではないけど、犯罪が起きる可能性が高くなる。社会が改善するだけではまだまだ不足だ。では、どうすればよい?残念ながら、ぼくはその答えを持ち合わせていない。解決の第一歩としては、まず立ち止まって、そして「自分の頭で考える」ことしかできないと思っている。

コメント
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