子育て時代  教員時代の思い出 3

2008年11月02日 22時57分15秒 | 教師
初任の学校での4年目に結婚してその年の内に赤ちゃんが生まれた。そして、すぐに転任になった。先輩の言うことを聞いて、育児休暇を取れば良かったと思ったが、後の祭り。妊娠したときは、仕事が楽しくて楽しくてたまらなかったから、育児休暇をとろうなんて、全く思わなかった。でも、実際に子どもができて子育てを始めたら、自分の子どもがかわいくて自分で育てたいと強く思うようになり、育児休暇を取らなかったことをものすごく後悔した。


ところで、産休が終わり職場に復帰してまもなく初めての転任だった。

湯沢市内の中規模校に転任。ここからが苦闘の始まり。


赤ちゃんが待っているので早く帰りたかったが、仕事の量が多くなり早く帰れなくなった。
それよりも、初めての1学年2学級という立場での学級担任。それまで、1学年1学級で4年間学級担任をやってきたから、1学年2学級での仕事の仕方がわからなかった。初めのうち、それまでの習慣で自分の好きなように学級運営を進めてしまった。隣のクラスと同じように進めなければいけないということがわからなかったのだ。さあ大変。隣のクラスの先生との関係がうまくいかなくなった。その先生は、今の私と同じくらいの年代の先生。全く口をきいてきれない期間が、1ヶ月も続いたこともあった。

子育てのことで、家でもおばあちゃんとうまくいかないこともあり、心身ともにぼろぼろで、1週間に0.5キロずつ確実に体重が減って、産後かなり太っていたのが、夏休み前には、妊娠前よりも体重が落ちていた。

かなり追いつめられていて、もう仕事を辞めたいと、毎日思っていた。

それでも、主人の励ましでなんとかがんばり、1年が過ぎた。


2年目になるとき、同じ先生とは同じ学年を持ちたくない、と思っていたのに、またその先生との同じ学年だった。

この時ほど、管理職は何も気が付いていないんだと、がっかりしたことはない。
同学年の先生とは隣に座っていても全く話をせず、学年がしっくりいっていないのに、気が付いていないとは、何のための管理職だろう。

初任の学校が楽しかったわけは、管理職の先生がいい先生だったこともある、と、今になって思う。

私が苦労していても、たぶん気づかず、やせてきても声をかけるわけでもなかった。それに、相談したいなとも思わなかった。

なんとか、この職場から逃れたい。そのためには二人目の子どもができたら、1年間の育児休暇をとって、学校を休み心を休めたい、そう願っていた。もちろん、1度目の出産での後悔があるから、次は必ず育児休暇をとろうと思っていたのだ。

そういうあまりよろしくない理由でその学校の2年目の終わり頃から、1年間の育児休暇をとって、育児に専念した。

その2年間だけは、私の教員生活の中でも全力投球できなかった唯一の時期だった。子どもたちには誠に申し訳なかったがその当時の子どもは素直だったのか、何の問題もなく子どもたちはすくすくと成長した。でも、もしかしたら、職員室ではいやな思いをしていても、かえって教室の方で救われていたかもしれない。


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