部活動  教員時代の思い出 4

2008年11月08日 21時47分24秒 | 教師
退職の5年前、最後の学校に赴任。(そのころは、そこが最後になるなんて、夢にも思っていなかった。)

音楽関係の部活動を担当することになるだろうとは、予想していた。
合唱部とスクールバンド部である。

私は、合唱部はとても無理だから、スクールバンド部なら担当してもいいと思っていた。
でも、紆余曲折があり(ちょっとブログで公にはできません)、合唱部を担当することになった。

それからが大変だった。なにしろ、3年連続東北大会出場の伝統ある合唱部。私は、合唱の「が」の字も知らない全くの素人。

一応、楽譜は読める。楽譜通りに演奏しているかどうかの判断はできる。音程が正しいかどうかも一応は聴き取れる。
でも、声の出し方がわからない。子どもたちの発声がそれでいいのか、ほとんどわからない。合唱部の6年生の方が、後輩の歌を聴いて適切な助言をしている。

自分で合唱の経験は、全くなかった。

前年までの合唱部の担当の先生が、心配して毎週土曜か日曜に指導に来てくれた。私は、見よう見まねでなんとか指導をしていた。また、伝統ある合唱部だから、また、ものすごく合唱の盛んな地域だから、いろいろな合唱の指導者が、入れ替わり立ち替わり指導に来てくれたので、その先生が指導したことを私は引き続きしどうする、という感じだった。

でも、発声を聴き取って指導するのは、非常にむずかしかった。

ある時、東京から指導の先生を招いて、2日間指導してもらったことがある。NHKの合唱コンクールの曲の指揮についても、私の手をとって、こういうふうに指揮をするのだ、と、指揮の仕方を教えてもらい、大変勉強になった。

でも、2日目、湯沢文化会館での練習の時、発声についてもその先生に指導をうけていた。突然、「担当の先生、同じように指導してみてください。」と言われ、保護者も見ているのに、私に指導しなさい、とふられてしまった。

私は、子どもの発声を聴き取ることができず、指導することはできなかった。

あ~~、子どもの前で、親も見ているのに・・・・・・・


たくさんの先生方の指導のおかげで、NHKコンクールでは、銀賞だった。もちろん、前年までの指導のたまものである。

1年間が過ぎる頃には、少し指導にも慣れまた来年も担当してもいいな、と思えるようになった。でも、結局、1年間だけの担当だった。


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