近研ブログ

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平成29年7月10日 樋口一葉「闇桜」研究発表

2017-07-12 10:14:07 | Weblog
こんにちは。
7月10日に行われました、樋口一葉「闇桜」研究発表についてご報告致します。
発表者は二年宇佐美さん、浦野さん、一年鈴木くんです。司会は三年長谷川が努めさせていただきました。

「闇桜」は、東京朝日新聞小説記者 半井桃水の指導を受け、明治二十五年三月創刊の同人雑誌「武蔵野」に発表された、樋口一葉の処女作です。一葉亡き後の明治三十年一月、博文館発行の『一葉全集』に収録されました。
「伊勢物語」二十三段の「筒井筒」に発想を得たとされています。また、縁語や掛詞などを多用した擬古文体が特徴の作品です。
同時代には注目度が低く、評価もそれほど芳しくない作品でした。
先行研究では、成立事情や発想を作家論的に論じるものが多く、特に桃水との関連、桃水による添削問題を論じたものが多く見られます。また、一葉の他の初期作品との比較検討、同時代の他の作家作品との比較検討を試みたものが多く見られます。他にはジェンダー論、フェミニズム的観点から論じたものも見受けられました。

今回の発表では、副題を「変わる社会と羽化できない少女」とし、千代が「子供から大人への変化」「古い女から新しい女への変化」二つの変化をなし得ないまま死んでしまうことについて論じられました。
発表者はまず文体に着目し、地の文に見られる掛詞、縁語、枕詞のような擬古文的な技巧が作中人物の発言内には見られないことを指摘しました。このことから、上段・下段は会話が多い一方、中段は千代に内的焦点化がなされた語りが展開されることを見出しました。
上段では会話の他に、「妹といふもの味しらねどあらば斯くまで愛らしきか」という、良之助の心情を良之助の言葉そのままで表したと思われる箇所があります。このことから、良之助は千代のことをあくまで妹のように思っており、女性としては見ていないということがわかると指摘しました。
また、千代は前時代的な人物として描かれ、一方千代の夢の中に登場する未来の良之助は近代的で立派な役職に就くものとして描かれます。千代は良之助が自分とは釣り合わないと感じつつ、近代的な方向に向かおうとすることはありません。このような千代の姿を、古い女から新しい女に変化できなかったと論じました。
また発表者は、良之助の思いを内に内に抱え込んだ結果死に至り、実像としての良之助と結ばれ得なかった千代の姿を、子供から大人への変化を完了できなかったと論じました。
つまり、千代を死に至らしめたのは、時代の変化や家の都合などの外的要因ではなく、近代的な理想の女性像と前時代的な自身のあり方との差異や、少女から大人への変化といったギャップに引き裂かれ、押し潰された彼女の内面であると発表者は結論付けました。

質疑応答では、千代の思いは遂げられなかったと読んで良いのかという意見が出ました。良之助は千代の思いを理解した上で千代からの指輪を確かに受け取っており、これは思いが遂げられたと読むべきなのではないかという意見です。これには発表者から、良之助が受け取ったのは形見としての指輪であり、千代ことをあくまで妹のように思っていることを繰り返し強調されてきた良之助が、異性として千代の思いを受け取ったとは考えられないとの反論が出ました。
また、千代の恋愛模様を否定的に評価する発表者の意見に対し、先生から、幻想の中の良之助を純化した結果、実体としての良之助をもを拒むようになった千代思いの気高さ、芯の強さを肯定的に評価できるのではないかとのご意見をいただきました。片恋の果てに生命を失う女性を描いた物語は古典において珍しくないが、そのような懊悩する女性の〈心理〉を描きだしたものとして、発表当時において画期的であったそうです。
また、思いを遂げない理由が明記されないことには、理由なき恋に焦がれてしまうという恋愛の真理を描き出す効果があるのではないか。外的要因が語られつつも、千代自身がそのことに頓着する様子が語られないことによって、自由恋愛そのものに目を向けさせる効果がある。成就しない恋に意味を持たせた点に一葉文学の意義がある。などのご意見をいただきました。
次に、「お詫は明日」という千代の台詞の解釈について話し合いました。明日を望んでもその明日は来ないという切なさを表している、明日も良之助が自分の元に来るという自信の現れなどの意見が出ました。また、千代は死ぬことで良之助の心に自分の存在が強く刻まれることを望んでおり、「お詫は明日」という台詞は死んでも良之助の心に残り続けるという意志を示しているとの意見が出ました。本文中から根拠を探すのは難しいですが、おもしろい意見だと思いました。
最後に、千代に内的焦点化された中段がこの物語の肝になっており、中段を経たことによって最後の千代の死に意味が与えられるとの意見が出ました。

今回の発表では、明治二十年代の作品ということもあり、語釈を挟みながら当時の時代背景を捉えていこうと試みた点が素晴らしかったと思います。
時代背景は近年の研究発表において等閑視されがちですが、作品内に描かれた時代を知ることは、作品の精密な読解に必要不可欠なことです。ただ本文にのみ向き合うのではなく、必要な情報を適宜入れ込んだ読みを展開する必要性を感じました。

次回は横光利一「蠅」研究発表です。
今年度前期最後の研究発表、最後まで気を抜かずがんばりましょう。

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