近研ブログ

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平成30年12月17日坂口安吾「私は海をだきしめてゐたい」研究発表

2018-12-21 15:54:40 | Weblog
こんにちは。12月17日に行われた坂口安吾「私は海をだきしめてゐたい」研究発表の報告をさせていただきます。発表者は2年中島さんと1年木村さん、副題は ―女体から〈海〉への観念化― です。司会は3年望月が担当しました。

〈作品概要・研究史〉
「私は海をだきしめてゐたい」は初出が「婦人画報」(昭和22年1月)、初刊が『いづこへ』(昭和22年5月、真光社)となっており、発表当時から現在にいたるまで言及されることの少ない作品であるようです。本作の性格が物語的というよりも随筆・評論的であるためか坂口安吾の端的な思想表明として受容される傾向があり、そのために作家論的な視点で論じたものが多く、作者の他作品との比較もなされています。記号論的な試みもなされていますが、いずれにせよ本作の中心的モチーフである不感症の「女」のうちに「私」が肉体と精神の二元論以前の「ふるさと」を見出すという点については幾度か論じられています。本作が物語的でないことに加え、戦後文学であるにもかかわらず坂口安吾の文学が必ずしも時代性を反映しないということが作品研究を停滞させているとも考えられます。戦後日本の"風景"を写生せずに、いわば人間存在の"原風景"を描いているというところに作者の特徴があり、本作の思想があるかと思われます。

〈発表者の主張概略〉
「私」と「女」を結び付けるのは夫婦愛ではなく性愛であり、「私」が不感症の「女」の肉体にたいする欲望を満たそうとするように、二人は孤独で虚ろな欲望を抱きつつ生活している。「女」は浮気性である。しかし彼女の「淫蕩の血」を「私」がたんに批判するというのではなく、むしろ「女」を批判せずにはいられない自己の精神を「私」自身批判的に語りつつも、「女」の肉体にながれる「淫蕩の血」を観念的で「水ゝしく」「透明」で「清潔」なイメージへと高めていく。「女」の肉体が不具であることに自己の精神も歪んでいることを相対化しつつ語る「私」は、この意味で精神的でないとはいえない。(発表者の主張から離れるが、)肉体的にも精神的にも満たされない「私」は、無限に満たされえない欲望ゆえに無限に開け放たれた〈海〉、つまり欲望の解放の場を得ることになる。欲望の不可能が欲望の無制限へとつながっていく。そのような虚ろな磁場が肉体・精神という二元論以前の「私」の「ふるさと」である。(発表者の主張に戻る。)一方で観念化された「女」の肉体は〈海〉という自然に圧倒されるのであり、「女」の「淫蕩の血」を圧倒的な〈海〉と同一平面上にまで高められなかった「私」の観念の敗北である。
はたして「私」は肉体上の欲望のみに追いすがっていたかというとそうではなく、自己批判の葛藤にさいなまれる「私」の態度はむしろ誠実であり、そこに「私」のプラトニックな一面が垣間見られる。「私」の語りが葛藤しているとすれば、繰り返し用いられた「私」の断定的な語りもそのまま受け取るわけにはいかない。人間性を疑いつつもそれを断定的に語らねばならなかった自己保身の営為にこそ事実存在の決意が見て取れる。

〈質疑応答・総括〉
発表者の主張をそっくりそのまま報告せずに筆者自身の解釈を少々交えてしまったことをお断りしておきます。
さて、ここでは今回の例会で主な議題となった「私」の語りにまつわる「嘘」についてだけ報告させていただきます。岡崎先生は、本作では「私」の語りが断定的であるために、常に「嘘」や矛盾をはらんでいる可能性に注意しながら読み進めていくことが必要であるとされ、語りの表層にみられる断定表現を反転しながら読みつつ、矛盾を正・誤に振り分けようとせずに矛盾のままに受容していくほうが生産的であるとされました。そのような矛盾が、やがて「女」の肉体と〈海〉との癒着を導きだし、肉体的な欲望を満たさんとすることを断定的に語ってやまない「私」を、むしろ断定の危うさによって無償の精神世界へと引き込むともされました。「私は海をだきしめてゐたい」という題名の趣意も「私」の語りを表裏にひっくり返しつつ読むことによって理解される「私」の願望を物語ったものであるということです。

ここまで発表者の主張も質疑応答で議論されたことも曖昧模糊に報告してきてしまいました。議論自体が難航したことに加えて司会者(筆者)の技量不足が惜しまれます。ともかく、「私は海をだきしめてゐたい」は研究史も浅く、様々な問題点を潜在させた作品でもあるので新たな分析・読解が待たれます。末尾の「私は肉欲の小ささが悲しかった」という一文がはたして自然(「海」)への敗北であったか、それとも…。
次回は12月24日(月)、織田作之助「世相」の検討を行います。ふだんとは別に前半で研究史の検討、後半は読書会の形式で検討を行う予定です。
※この場を借りてツイッター更新、Wikiブログ更新が二か月間ほど停滞していたことをお詫び申し上げます。

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