今週は「古都」二回目の発表でした。発表者の方、お疲れ様でした。
今回の発表では、まず先行論2つを引用されていました。1つめの論文では、露地住人の暮らしに混在する苛烈な情念と希求こそが人間本来の姿、在りようを示しており、発表者はこの一つ目の論文を生かし、分析されていました。そして、2つ目の論文では、「古都」の連作である「孤独閑談」にまで言及されており、「僕」は真正の露地の住人になりきることはできず、「僕」が露地の住人としての生を享受することの不可能性がかかれていました。
分析では、【<僕>による物語の再構成】というトピックで、物語の舞台が昭和十二年であるという設定に注目、「古都」は昭和十六年に発表された作品であり、そこから<語るべき>物語が取捨選択され、事実をすべて描いた物語でない小説であるということがいえます。そして、東京から訪れた余所者の<僕>はやがて京都を去る人間であり、このような<僕>を発表者は「流浪の民」としていました。
親父・主婦・関さん・ノンビリさんは自分本位で己の欲に忠実に生きる者として語られています。残飯に頼らざるを得ない関さんの生は自殺したくても食堂に頼らざるを得ない人間です。<人生最後の袋小路>・<京都のごみたまり>=人間としての社会の底辺に追い詰められている者たちに焦点を当てていく物語だとしていました。
<僕>に注目すると、住み慣れた東京と、<僕>を気遣ってくれる人々との対照が書かれています。そして<僕>はどん底の環境に身を置き、自分の中の<光>だけで立ち上がろうとする姿が書かれます。そして次第に楽な暮らしに慣れていく僕、
<先生>と呼ばれることで名前を失い<坂口>と呼ばれていた過去の自分を失ってしまいます。そして<光>を失い、<暗い一室>で日々を過ごす、楽な暮らしを送るうちに周囲に染まり、どん底に落ちてゆきます。このようなことから、語り手<僕>は堕落していった人間として書かれているが、いずれは碁会所を去る人間であることがわかります。
【京都の町】では、にぎやかな伏見稲荷と対照的にかかれる暗い露地がまず読めます。常連の呑み助、日蔭者の貧乏庶民は京都のごみたまりで生き、これは底辺の底であるといえます。彼らは遠慮することなく己の欲の忠実であり、これが人間本質の発露・人間の原始的な生き方であり、人間の本質的なあり方を見つめていく存在としての<統領>(底辺庶民の代表)が読み取れます。
京都の町並みは碁盤の目であり、碁に興じるが下手な露地の人々は<落ち武者>であり、碁盤の目の京都の中での敗北を意味しています。そして碁の勝利で得る地位が<統領>であり、この作品においては人間としての勢力争いの縮図としての碁が表現されているといえます。
治安維持法の実行部隊としての<特高>・軍歌や軍記を唄う<浦孤舟>の存在は、天皇制や殉死によって団結し欧米を越えていこうとしている戦争の体制を暗示しているのではという読みがされていました。
そして最終的に戦争の影響が現れるであろう<東京>・<京都>・の<師団長>の負傷は<日華事変>の余波を小金を稼いだ<無邪気>な笑い<私欲の充満>に転化させていくおやじがおり、これは時勢に飲み込まれることなく己の生を全うしていく底辺庶民の底意地であり、これは性の活力を暗示しているといえます。
まとめとして、人間の原始的なありよう、活力を発露させて底辺を生きる者たちに持ち上げられ<統領>になっていく僕がいます。これは米超えを目指す戦争の体制をも越えていくことが暗示されます。これは時勢に対して作者の持っていた反対制の萌芽といえます。
そして露地に生きる人々の人間の原始的、本質的姿を<神々しく>、<無邪気>という僕がおり、これは己の感情にただあるがままに生きる人間のあるべき姿が肯定されているということでした。
そして統領になる<僕>は完全に路地の人間になりきれない者であって、彼は路地住人を客観的にとらえる視点を持ち、人間のあるべき姿を住人に仮託して作品を描いているといえます。
質疑応答では、<浦孤舟>の存在が果たして欧米を超える戦争の暗示なのか、飛躍していまいかということが一番の話題であったかと思います。また、己の感情に忠実に生きる姿が果たして人間のあるべき姿としていいのか?という問題があり、そこから安吾の思想に結ぶ資料があったならさらに精度の高い資料になったかと思います。
2週間お疲れ様でした。以上、坂崎でした。
今回の発表では、まず先行論2つを引用されていました。1つめの論文では、露地住人の暮らしに混在する苛烈な情念と希求こそが人間本来の姿、在りようを示しており、発表者はこの一つ目の論文を生かし、分析されていました。そして、2つ目の論文では、「古都」の連作である「孤独閑談」にまで言及されており、「僕」は真正の露地の住人になりきることはできず、「僕」が露地の住人としての生を享受することの不可能性がかかれていました。
分析では、【<僕>による物語の再構成】というトピックで、物語の舞台が昭和十二年であるという設定に注目、「古都」は昭和十六年に発表された作品であり、そこから<語るべき>物語が取捨選択され、事実をすべて描いた物語でない小説であるということがいえます。そして、東京から訪れた余所者の<僕>はやがて京都を去る人間であり、このような<僕>を発表者は「流浪の民」としていました。
親父・主婦・関さん・ノンビリさんは自分本位で己の欲に忠実に生きる者として語られています。残飯に頼らざるを得ない関さんの生は自殺したくても食堂に頼らざるを得ない人間です。<人生最後の袋小路>・<京都のごみたまり>=人間としての社会の底辺に追い詰められている者たちに焦点を当てていく物語だとしていました。
<僕>に注目すると、住み慣れた東京と、<僕>を気遣ってくれる人々との対照が書かれています。そして<僕>はどん底の環境に身を置き、自分の中の<光>だけで立ち上がろうとする姿が書かれます。そして次第に楽な暮らしに慣れていく僕、
<先生>と呼ばれることで名前を失い<坂口>と呼ばれていた過去の自分を失ってしまいます。そして<光>を失い、<暗い一室>で日々を過ごす、楽な暮らしを送るうちに周囲に染まり、どん底に落ちてゆきます。このようなことから、語り手<僕>は堕落していった人間として書かれているが、いずれは碁会所を去る人間であることがわかります。
【京都の町】では、にぎやかな伏見稲荷と対照的にかかれる暗い露地がまず読めます。常連の呑み助、日蔭者の貧乏庶民は京都のごみたまりで生き、これは底辺の底であるといえます。彼らは遠慮することなく己の欲の忠実であり、これが人間本質の発露・人間の原始的な生き方であり、人間の本質的なあり方を見つめていく存在としての<統領>(底辺庶民の代表)が読み取れます。
京都の町並みは碁盤の目であり、碁に興じるが下手な露地の人々は<落ち武者>であり、碁盤の目の京都の中での敗北を意味しています。そして碁の勝利で得る地位が<統領>であり、この作品においては人間としての勢力争いの縮図としての碁が表現されているといえます。
治安維持法の実行部隊としての<特高>・軍歌や軍記を唄う<浦孤舟>の存在は、天皇制や殉死によって団結し欧米を越えていこうとしている戦争の体制を暗示しているのではという読みがされていました。
そして最終的に戦争の影響が現れるであろう<東京>・<京都>・の<師団長>の負傷は<日華事変>の余波を小金を稼いだ<無邪気>な笑い<私欲の充満>に転化させていくおやじがおり、これは時勢に飲み込まれることなく己の生を全うしていく底辺庶民の底意地であり、これは性の活力を暗示しているといえます。
まとめとして、人間の原始的なありよう、活力を発露させて底辺を生きる者たちに持ち上げられ<統領>になっていく僕がいます。これは米超えを目指す戦争の体制をも越えていくことが暗示されます。これは時勢に対して作者の持っていた反対制の萌芽といえます。
そして露地に生きる人々の人間の原始的、本質的姿を<神々しく>、<無邪気>という僕がおり、これは己の感情にただあるがままに生きる人間のあるべき姿が肯定されているということでした。
そして統領になる<僕>は完全に路地の人間になりきれない者であって、彼は路地住人を客観的にとらえる視点を持ち、人間のあるべき姿を住人に仮託して作品を描いているといえます。
質疑応答では、<浦孤舟>の存在が果たして欧米を超える戦争の暗示なのか、飛躍していまいかということが一番の話題であったかと思います。また、己の感情に忠実に生きる姿が果たして人間のあるべき姿としていいのか?という問題があり、そこから安吾の思想に結ぶ資料があったならさらに精度の高い資料になったかと思います。
2週間お疲れ様でした。以上、坂崎でした。