更新が非常に遅くなってしまって申し訳ございません。
おはようございます。1年の神戸です。
今回の例会(12/12)では三島由紀夫の「詩を書く少年」を2年生の石上先輩が発表してくださいました。司会は神戸が務めさせていただきました。
この「詩を書く少年」という作品は三島由紀夫の私小説的な立ち位置で語られることが多く、先行研究などでは最終的に作家論的な読みをされることが多いのですが、今回は“テクスト論的に語り手の立ち位置を中心とした論”を展開する研究発表となりました。
発表者の見解としては「少年の説明や感想において断定的に書いている」ので存在としては「語り手=少年」とするが年月の流れにより思想・考えがほとんど変化した人間は同じ人間ではないということで、「語り手≠少年」という立場で研究を進めたそうです。
今発表ではまず作中に名が出てくる詩人「シラー」「ゲーテ」をそれぞれ「自然を失われたものとしてとらえて理想を表現する感傷詩人」「自然を現実のものとしてとらえる素朴詩人」として定義しました。
少年は感傷詩人寄りの詩を書きはするが、対外的な感心が薄く現実を詩の素材としてしかみられない。また自身への興味の薄さが少年を“無自覚な孤独”に陥らせていることを指摘し、そして感じる心の乏しいことによってゲーテのような本当の「詩」が生み出せないことを言及しました。(本当の「詩人」であるなら現象・事物に感動[幸福感]を得ることによって詩を生み出す)
本文(p274・3)「僕も生きてゐるのかもしれない。この考へにはぞつとするやうなものがあつた。」という部分から少年は現実世界に生きていないつもりだったことを指摘し、現実世界に生きることは感傷詩人的に理想世界に生きていた少年にとっての“死”を表し、「詩人は早く死ななくてはならない」と自身の夭折を信じていた少年は“感傷詩人としての死”を遂げたと指摘した。
また発表者は「少年のように詩をかいてはならない」と、これから詩を書く者・詩に興味がある者への警鐘を作者がならしているのではないか。またこの作品により「詩とはなにか」を読者に考えさせる作者の意図があるのではないかとも見解を示し、「この作品を日本で詩を学ぶ者にとっての入門書となりえる」とのまとめをなさいました。
また岡崎先生から「詩人を素朴詩人・感傷詩人との二分にするのではなく、本文の『詩』や『詩人』と、少年との差異を探ってみればいいのではないか」「少年の後進である語り手が語る“少年の価値観の破綻”を辿ってみるといいのではないか?」などのアドバイスを頂きました。
発表者の石上先輩は本当にお疲れ様でした。
拙い司会で申し訳ないのですが、本日も発表頑張ってください!!
おはようございます。1年の神戸です。
今回の例会(12/12)では三島由紀夫の「詩を書く少年」を2年生の石上先輩が発表してくださいました。司会は神戸が務めさせていただきました。
この「詩を書く少年」という作品は三島由紀夫の私小説的な立ち位置で語られることが多く、先行研究などでは最終的に作家論的な読みをされることが多いのですが、今回は“テクスト論的に語り手の立ち位置を中心とした論”を展開する研究発表となりました。
発表者の見解としては「少年の説明や感想において断定的に書いている」ので存在としては「語り手=少年」とするが年月の流れにより思想・考えがほとんど変化した人間は同じ人間ではないということで、「語り手≠少年」という立場で研究を進めたそうです。
今発表ではまず作中に名が出てくる詩人「シラー」「ゲーテ」をそれぞれ「自然を失われたものとしてとらえて理想を表現する感傷詩人」「自然を現実のものとしてとらえる素朴詩人」として定義しました。
少年は感傷詩人寄りの詩を書きはするが、対外的な感心が薄く現実を詩の素材としてしかみられない。また自身への興味の薄さが少年を“無自覚な孤独”に陥らせていることを指摘し、そして感じる心の乏しいことによってゲーテのような本当の「詩」が生み出せないことを言及しました。(本当の「詩人」であるなら現象・事物に感動[幸福感]を得ることによって詩を生み出す)
本文(p274・3)「僕も生きてゐるのかもしれない。この考へにはぞつとするやうなものがあつた。」という部分から少年は現実世界に生きていないつもりだったことを指摘し、現実世界に生きることは感傷詩人的に理想世界に生きていた少年にとっての“死”を表し、「詩人は早く死ななくてはならない」と自身の夭折を信じていた少年は“感傷詩人としての死”を遂げたと指摘した。
また発表者は「少年のように詩をかいてはならない」と、これから詩を書く者・詩に興味がある者への警鐘を作者がならしているのではないか。またこの作品により「詩とはなにか」を読者に考えさせる作者の意図があるのではないかとも見解を示し、「この作品を日本で詩を学ぶ者にとっての入門書となりえる」とのまとめをなさいました。
また岡崎先生から「詩人を素朴詩人・感傷詩人との二分にするのではなく、本文の『詩』や『詩人』と、少年との差異を探ってみればいいのではないか」「少年の後進である語り手が語る“少年の価値観の破綻”を辿ってみるといいのではないか?」などのアドバイスを頂きました。
発表者の石上先輩は本当にお疲れ様でした。
拙い司会で申し訳ないのですが、本日も発表頑張ってください!!
本当に更新遅くて申し訳ないです<(_ _)>
1年 神戸