近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

三鷹文学散歩

2007-04-30 03:37:47 | Weblog
4月28日に近研で文学散歩に行って来ました。ので、そのご報告を。

今年のテーマでもある「無頼派」の作家、太宰治ゆかりの地を巡るということで、一路三鷹へ。

三鷹という土地は太宰が晩年を過ごし、かつ死に至る心中事件を起こした玉川上水の流れる場所としてあまりにも有名です。三鷹市のHPには、「三鷹文学散歩」という独立した項目も設けられており、市のPRにも一役かっているようです。

午前中の晴天から一転、空模様の怪しくなってきた午後二時、JR三鷹駅に集合した一行は、まず三鷹駅構内にある国木田独歩の碑を見学。周辺が工事中だったためか、情緒のかけらもなく、工事のための柵や道具に囲まれて、日のあたらない場所にひっそりと佇んでおりました。これでは、せっかくの文学碑も台無しです。人がもしこうやって徐々に忘れられていくのだとすれば、なんとも悲しいものですね。

その後、太宰治と森鴎外の墓がある禅林寺へと向かいました。駅から歩き始めてすぐ、ポツポツという音が…。雨です。天気予報の確認もせず、傘を持参していなかったおバカな僕は、100円ショップで傘を購入。途次にふらっと寄った老舗のたい焼き屋さんでは先輩方にたい焼きをご馳走に。これが非常に美味。麻布十番にある「およげ、たいやきくん」のモデルになったたい焼き屋さんの味を思い出しました。ごちそうさまでした。

禅林寺に着き太宰治の墓を見学。手を合わせてきました。そうそう太宰の墓は森鴎外の墓の真向かいに建っているのですね。あの墓の配置は誰が決めたのでしょう。偉大すぎる二人の文豪が、死してなお、どちらが優れた文学者であるかを競い合っているかのようでした(?)また、僕たちが訪れたときには、たまたま鴎外の墓の前で、着物を着たお姉さんを被写体に何かの撮影が行われていました。が、あいにくの空模様ということで中止になった様子。撮り直しなのでしょうか。残念でしたね、お姉さん。

さて、禅林寺を出発した一行は、太宰の旧居跡を経て山本有三記念館へ。
その途中空が一層暗い表情を見せたかと思えば、突然のスコール。しかも雷様のおまけつき。誰の行いが悪いのか、最近の文学散歩ではよく雨が降ります。雨男なのかな、僕?しかも、計画者である僕の不準備で、旧居跡はなかなか見つからず…。(太宰の旧居跡はいまや他人の家になっていて、碑だとかレリーフだとか一切ないんですね。)参加者の人には雨の中随分と歩いてもらうことになりました。申し訳ないです。さらに、追い討ちをかけるかのようにまたスコールが…。ん、やけに元気よく跳ね返ってくるな、と思って見てみると氷の粒、そう、雹です。ここまで不運だと、逆に笑えてもきます。

そういえば、先ほどの禅林寺で太宰の墓の写真を撮ってた人が…(笑)太宰の怨念か、はたまた撮影に使われていた鴎外の怨念か、それは今となっては全くの謎です。

山本有三記念館では、「路傍の石」で有名な著者の旧家に直筆の原稿や愛用品の数々が展示されていました。見学は無料。大正末に建てられた、和洋を取り混ぜたモダンな建物からは、いかにも文学者らしい趣が感じられました。門の入り口には「路傍の石」と名付けられた直径1.5メートルほどの石がありましたが、あれはどういう経緯で、どういう意図で設置されたのでしょう。なくてもいいような気もしなくはないです。

文学散歩の最後を飾るのは、太宰の入水場所。玉川上水沿いのある場所に石と碑が建てられているのですが、これがなんとも分かり辛い。これまでの流れで、僕たちがどれくらい歩いたかを想像して頂ければ、と思います。書くに忍びないので割愛します。失礼しました。

そんなこんなで、文学散歩も無事(?)終わり、打ち上げのために渋谷へ。

割合大きく出来ている僕の体は、100円の安物傘には入りきらなかったようで、背中と膝から下はずぶ濡れ。もちろん靴はいやな音を立てて鳴っていました。

今回は、天候と道の探索にアップアップした文学散歩でしたが、それも太宰における生の苦しみと悲哀の涙とを表わしているのだ、と非常識なプラス思考で解釈すれば、思い出に残る散歩となったような気もします。(もちろんこれが言い訳であることは言うまでもありません。)



「ヴィヨンの妻」について

2007-04-26 22:09:12 | Weblog
 山本です。「ヴィヨンの妻」について考えてみたことを少し述べます。
 「ヴィヨンの妻」の登場人物は、当時の日本と欧米の関係に置き換えられるのではないでしょうか。大谷は当時の日本政府、妻は日本国民、椿屋の夫婦は欧米という風に。井伏鱒二の同時代評にも、「戦後の国の姿に対する太宰君の印象をこのような物語に発酵させた」と述べていますが、このような読み方をすると、太宰は戦後の日本さえもあまり気に入っていなかったのではないかと思われます。

太宰の思想

2007-04-25 18:16:51 | Weblog

こんにちは、坂崎です。「ヴィヨンの妻」の例会お疲れ様でした。 

今回の資料では、当時の作者と時代の思想が大いに読みに関わっているということがよくわかった。それは資料でいえば、「成立」から「時代」にかけての部分である。太宰自身がフランソワ・ヴィヨンの「大遺言書」が好きで金木にいたころから読んでおり、ヴィヨンは窃盗、放浪、饗宴を繰り返しながらも神を懼れる態度をもっている人物であり、その性格が主人公の大谷に与えられているという指摘は興味深かった。また「時代」の部分では当時民主主義の思想が当時流行していたが、作者はそれを<見せかけの上品さ>で覆っているうわべだけの復興であると指摘し、さらに現在の日本は完全に堕落はしておらず、宙ぶらりんの<無の無の無、虚無でない空無>であるとし、それが作中に出てくる<マイナスを全部集めるとプラスに代わる>という言説に、作者の「再起復興」の理想が表現されているという部分は非常におもしろかった。
 作品のタイトル「ヴィヨンの妻」の意味に関しては、<私>は大谷の妻であるが故に<罪>を背をわされ、既存の概念を捨て、あるがままにあればいいという境地に至ったが、<家>を捨てたがために家なき妻として「空無」から出発することが作者の理想の再帰復興を表現している。その意味で「ヴィヨンの妻」なのだ、ということでまとめられていた。この作品では、<人>という言葉がキーワードであると思う。大谷は根っからの人でなしでなく人でなしになろうとして苦悩している人間=ヴィヨンという読みが複雑であるな、と思った。ただ家庭を想わないだけで、人という扱いをいいのか、ということが少し疑問に思った。
 作者の思想から作品に意味付けしていく大切さが二つの例会を通してわかってきた。このことは自分がいまやっている研究の中でもかなり大切なことなのでしっかりやっていきたいと思う。では、この辺で失礼します。               

新世界より

2007-04-24 23:58:16 | Weblog
こんばんは、西山です。
先日は「ヴィヨンの妻」の発表でした。
浅井さんお疲れ様でした!

罪を重ね、重ね続けてどん底に落ちた時、今までの価値観を全て打ち破る新しい世界が開ける。
妻は既成の概念からはなれることで、幸せを手に入れた。真に新しい思想を手に入れたのは、戦後という新しい時代、民主主義の思想、詩人は偉い、そんなことを大声で叫んでいる人たちではなく、飲んだくれの内縁の夫と発育の悪い息子を持つ「椿屋のさっちゃん」だった。「私達は生きていればそれでいい」そう言い切ることができる人が、この作中に何人いたか。古いしきたりや慣習から解放され、「人でもいい」と、きっぱり言い切れたのはさっちゃんだけだ。
実在しない「ヴィヨンの妻」であることで、家や結婚の鎖を解き、彼女は新世界を生きて行く。この新世界は、古きを捨てるという犠牲を払うことではじめてあらわれるのである。

太宰治「ヴィヨンの妻」論

2007-04-24 03:45:09 | Weblog
こんばんは。本日のブログ担当、三年の菱川です。

本日は、太宰治の「ヴィヨンの妻」論の発表が行われました。
以下に本日の発表のまとめを書いていきます↓

副題―ふたつの生が紡ぎだすもの―

まず、作品のタイトルにもなっているフランスの詩人フランソワ・ヴィヨンを太宰本人が気に入っており、当時の認識としては〈ヴィヨン〉は戦後を生き、窃盗・放浪・饗宴などの自身の罪を自覚し神を懼れる態度で、遥かに人間らしい人間であるというものでした。そして太宰自身も「乞食学生」で、〈巴里生まれの気の小さい、弱い男〉として〈ヴィヨン〉を描いていて、今回の作品の大谷の生き様や性格にも、〈神におびえるエピキュリアン〉という〈ヴィヨン〉と重なる人物像が与えられているということでした。また、実際のところ妻がいなかったにも関わらず〈ヴィヨンの妻〉というタイトルがついているなどの〈ヴィヨン〉との相違点も指摘されてから、大谷と妻、当時の時代背景などからこの作品を分析されていました。

分析では、【時代背景】として、〈華族もへったくれも無くな〉り、〈男女同権〉という平等が掲げられてはいるが、実際は〈うしろ暗い罪〉を抱えなければ生きることが不可能であり、それを見せかけの〈上品〉さで覆っているような実体のはっきりしない民主主義の下での、上辺だけの復興が示唆されているということ。そして、この時代の世の中に対し太宰は〈マイナスを全部あつめるとプラスに変わるという事〉、自身の言葉では「無の無の無、虚無ではない空無」が、自己の存在を無に委ね、その無の底から再び自己の存在を回復し、存在が再起復興されるという「中ぶらりん」の〈世の中〉に対して作者が理想とし、志向すべきと考えた生の在り方、「空無」からの「復興」の可能性を示唆しているということでした。

次の【大谷の生】では、大谷は、家庭を想わないことで〈人〉として、家庭への〈後ろ暗さ〉、〈罪〉を重ね、〈マイナス〉をあつめる存在であり、家庭を持ち、夫であることで大谷は放埓という〈罪〉を犯し、とことんまでおちることを志向しているといことでした。

加えて【私の生】では、大谷と関わって生きていけることを幸福と思い、〈家〉で〈馬鹿〉なまでに大谷を待ち続けることが全てであった私の存在が、大谷の妻であるが故に姦通という〈罪〉を負わされ、〈家〉という固定概念を捨て、さらに既存の私を捨てた空の状態からの再出発をすることを指摘し、最後の〈人でもいい〉〈生きてさえすればいい〉と在るがままに在ればいいという生のかたち、つまり〈幸福〉や〈不幸〉といった相対的な観念や既存の概念を棄て、妻として空になった私が行き着いたのが「空無」の境地であることが指摘されました。
このように互いの存在が連関しあって紡ぎだされた最終文と物語の全般にわたってただ生きて存在し、無垢な生を貫いている大谷と私の子供は、在るがままに在る生を暗示する存在であることが導き出されました。

最後に、作品の目指すところとしては、一度全てを空にし、無に身を委ねた生の在るがまま(=空無)から再起復興していくという理想の境地の提唱を〈家〉という既存の概念を棄てた家無き妻(妻として無の状態=実在しない者としてのヴィヨンの妻)となることで「空無」から再出発していく者を体現した作品であり、「ヴィヨンの妻」のタイトルは実在しない空無の存在を意味しているということでした。

また質問・読みへの示唆としては、神の存在についてや私の独白による語りの効果などが挙げられました。

長くなってしまいましたが、感想としては一つ芯のある発表で、前回と今回とで学部生が目指す発表というのが見えたと思います。内容もさることながら資料の見せ方という点においても参考になると思うので、良い所はどんどん真似ていきたいと思いました。

また、発表資料はいずれHPにもUPされると思うので、ぜひその資料も併せてご覧下さい。それではおやすみなさい。。。