近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

平成29年9月25日 森鷗外「高瀬舟」読書会

2017-10-02 01:02:31 | Weblog

 こんにちは。近頃は夏の暑さも収まり、迂闊に薄着で出掛ければ肌寒いくらいの気候ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 遅くなりましたが、9月25日に行われた森鷗外「高瀬舟」の読書会についてご報告させていただきます。司会は3年春日です。後期のテーマは「死の文学」です。

 「高瀬舟」は「中央公論」の大正5年1月号に発表され、長年に渡って国語の教科書に採用されるなど鷗外の代表作として扱われることも多い作品です。また同時期の「心の花」大正5年1月号に森鷗外の「高瀬舟縁起」というエッセイが掲載され、これは春陽堂から出版された『高瀬舟』に「高瀬舟」と共に収録されました。

 先行研究では「高瀬舟縁起」で書かれた鷗外の執筆動機を「高瀬舟」と照らしあわせて論じるものも多く、特に「高瀬舟縁起」での「財産と云うものの観念」と「ユウタナジイ」(安楽死)をふたつの主題とみなし、これが「高瀬舟」作中の二つの対話と対応したものであると読まれてきました。そして中心的な議論としては、このふたつの主題が分裂しているか、もしくは統一したものと見なせるかという点に焦点を置き論じられてきました。この二者を統一した主題として「自由」や「相対性」が見られるとするなどの論が出るなかで、近年は作家論的に読むのではなく、「高瀬舟縁起」から離れ「高瀬舟」がどのように語られているか、語りの言語表現の差を指摘するなどといった研究も現れています。また学校教育の場でも「安楽死」というテーマありきではなく、教室での問いとして作品を読むような教育論が論じられています。

 今回の読書会ではまずこの作品が三人称小説であることを指摘し、語り手が庄兵衛に対して批判的に語っているのではないかという意見が出ました。また全体の構成が一般的な高瀬舟を語る導入部分から喜助の個人的な語りに移り、最終的に一般的な語りに戻ることを指摘し、ここに喜助の語りの「物語」としての影響力やそれに感化され「疑い」を持つことになる庄兵衛が見えるのではないかという意見が出ました。喜助と庄兵衛の対応関係について語り手はどのような立場をとっているのか、という点について議論が進められました。岡崎先生からは、最初に置かれた高瀬舟の背景についての語りがどのように機能しているかを重視すべきだというご指摘をいただきました。
 喜助の話は本当なのか?と喜助を疑う読みの可能性についても意見が出され、喜助の第一の語りと庄兵衛の感じた「知足」が果たして繋がるのか、この点については庄兵衛は話をとり違えているのではないかと議論は進みました。また喜助の話はこれまでの取調べで何度も語った話であり、その意味で人の心を動かす「物語性」が生じているという指摘もありました。また岡崎先生からは、第一の語りの「知足」はあくまで安楽死の問題提起の語りへの流れの一部として汲みとれるのではないかとご意見をいただきました。
 議論の終盤では、安楽死よりも柳田國男の「山の人生」のような生活苦が感じられたという意見や、教科書で読んだ時の安楽死のイメージが強く残っていたなど、様々な読書体験としての感想も聞く事ができました。また法学部の学生に喜助の行為は現行の法律ではどうなるのかという質問が飛び、それに対してこれは強行規定に反し、私と公との対決になるのではないかといった意見も出されました。

 「高瀬舟」は教科書などで知名度の高い作品ですが、改めて読みかえせば、語り手の問題、作家論との立ち位置、物語としての機能、社会に対する疑問の提示など、様々な読みや問いを生じさせてくれる強度を持ったテクストなのだと感じました。教職を志す身としては、教科書との関係、教室での読みの可能性など、教員として立ち向かっていくべき教材としての大きな存在感を示す作品でもありました。

 今回の読書会は後期の活動の第一回となりましたが、「死の文学」というテーマにふさわしく、ずっしりとした読後感をもって議論を深められたように思います。今年も残すところ3ヶ月、北風とともに駆け足で過ぎていく中での忙しさもありますが、三年次編入生として途中から研究会に参加している自分にとっては、これからが本格的な活動・研究となっていくかと思います。夏休みのけだるさを払拭し、悔いのないように研究に精を出し、この研究会でしかできない学びをみなさんと深めていけたらと思います。
 次回は梶井基次郎「桜の樹の下には」研究発表です。