こんにちは。6月とは思えないような暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
6月26日の例会は大江健三郎「死者の奢り」の読書会でした。ここに活動内容をご報告いたします。司会は4年・今泉が努めさせていただきました。
「死者の奢り」は昭和32年に雑誌「文学界」にて発表されました、大江健三郎の短編小説です。本作は大江の文壇デビュー作とされ、また第38回芥川賞の候補作としても注目されました。第38回芥川賞選評の概要も併せてご覧いただければと思います。
大学生である「僕」は、大学医学部の地下に保管されているアルコール溶液漬けの死体を新しいアルコール溶液に移し替えるというアルバイトを請け負います。長い間アルコールに沈んでいた死者たちは、「硬くて安定した《物》」として「僕」の目に移ります。死体を三十年間にわたって管理してきた管理人や、妊娠したため中絶費用を稼ごうとする女子学生と協力し、夕方までかかって死体を移し替えた「僕」。しかし「僕」たちは、これらの死体が実は焼却場で火葬される手はずになっていたということを聞かされるのでした。
先行研究では、〈生者と死者との対比〉、〈「粘液質の壁」〉、〈登場人物について〉、〈題名について〉、など様々な点に着目されております。今回の読書会ではそうした先行研究の論点を確認しながら話し合いを始めました。
【語りについて】
さて、今回の話し合いではまず「僕」の語りについて話題に上りました。本テクストは「僕」の一人称視点で物語が展開していきますが、その中で「語る僕」と「語られる僕」とを想定した読みを展開できるのではないか、という意見です。作中に現れる「死者」の話し声は、趙美京氏「『死者の奢り』における〈僕〉の奢り―死者表象の転換を通して」(『文学研究論集』平成11年3月)に述べられているように「会話を表す括弧なしに叙述されている」ことから「たんなる「僕」の意識にすぎない」とも読めます。それらの「死者」の言葉は僕の考え方を相対化するような内容となっており、そうした〈自意識を死者の言葉として書き起こし、自分自身(=「語られる僕」)と会話させる〉ことのできる「語る僕」が表出しているといえるのではないでしょうか。
また先生から、語りが「僕は~」という言葉を頻出させていることについて(大江の研究対象であった仏文学からの影響も含まれているかもしれないものの)、そのように「僕」は「僕は~」という表現を多用することで〈ここでの記述は「僕」独自の見方にすぎない〉ことを表現し自己保身のポーズをとっているのであり、それは〈生者〉と会話するたびに生まれる齟齬の「面倒」さを避けるための態度なのではないか、というご指摘をいただきました。その態度も、「語られる僕」の言動を〈生者〉に対して語る際に「面倒」さを生むまいとする「語る僕」の態度である、という読みが可能かと思います。さらに、そうして「語る僕」自身が「語られる僕」の「虚無的」な態度を対象化するように語ることで、「僕」が「僕」の「虚無的」な態度をどこかで裏切ってくれることにも期待していたのではないか、というご意見もいただきました。
【「死者」の性質について】
「僕」の惹かれた「死者」の性質についても話し合いました。話し合いの中で見出されたのは、〈「僕」は「死者」の「安定した感じ」に惹かれていたというよりも、〈生者〉の「徒労な感じ」を嫌悪していた〉という意見です。すなわち、「僕」が真に欲していたのは〈〈生者〉との関わりが「徒労な感じ」に陥らないこと〉であったのではないでしょうか。
管理人、女子学生、教授、といった〈生者〉たちとの会話から見出せるように、どのような〈生者〉との関わりの中にも「徒労」「面倒」を感じてしまう「僕」は、「死者」の「安定した感じ」に惹かれました。死体の水槽を初めて目撃した「僕」が「僕もこの水槽に沈むかな」と発言したことからも、「死者」に対する「僕」の憧憬がうかがえます。
ただし「僕」は実のところ「死者」そのものに憧れていたわけではないでしょう。休憩のため死体処理室から脱した「僕」が外の風から「官能的な快感」を感じ、外界の爽やかさに晴れやかな感動を覚えているという様子から見て、「僕」は決して〈死んで「死者」の仲間入りをしたい〉というわけではないのです。生の喜びを実感した「僕」はその喜びから気分をよくし、「少年」に話しかけてしまったくらいです。しかし「僕」が「少年」と思ったのは実は中年の男性であり、「僕」はまたしても〈生者〉に裏切られることとなったのでした。
以上の流れから、「僕」は「死者」の「安定した感じ」を、あくまでも〈生者〉との関わり合いの中における「徒労な感じ」と対比したうえで、気に入ったのではないでしょうか。本来は〈生者〉と「安定した」交流が行えればよいのですが、「僕」が〈生者〉との関わりから「徒労」しか見出せない以上、「死者」の「安定した感じ」に惹かれるしかない、ということです。
しかしテクスト後半において「死者」が火葬されるべきものであったということを知ったのち、「僕」は死体を「醜くよそよそし」いものとして捉えます。「安定した感じ」を持っていると信じた「死者」でさえ人間社会の都合によって「火葬」へと追いやられてしまうことを目にした「僕」は、もう「死者」に惹かれなくなってしまったのです。「死者」も〈生者〉も結局のところは〈不安定〉でしかない、という気づきが生まれたといえます。
【最終場面とその後について】
とはいえ、「僕」が失望したまま生きていくことになったとは限らない、というご意見を先生からいただきました。そしてその観点から最終場面を確認しました。
最後の場面で「僕」は「喉へこみあげて来る、膨れきった厚ぼったい感情は、のみこむたびに執拗に押しもどして来る」と語っており、確かに「僕」が〈「徒労」を感じながらも生きていくよりほかになく、「困難」「億劫」を引き受けていくしかない〉と諦めていったかのように読めます。しかし、「僕」は「報酬をはらわせるため」に〈生者〉と関わる意思を見せているのです。「報酬」つまり金銭は、「死者」ではなく〈生者〉に属するものであるといえます。「僕」は〈「死者」も〈生者〉も同様に「徒労」や「不安定」といった要素を抱える存在である〉と気づいたうえで、〈生者〉に属しつづけることを選びました。そこにはもちろん諦めの感情もあったことでしょう。しかし、「僕」は「子供の時の他は希望を持って生きた事がない」、つまり〈子供の時には希望を持っていた〉人間です。また、「希望がない」理由を管理人に追及された際、その「面倒」に内心ため息を漏らしながら、「自分がひどく曖昧で、まず自分を説得しなければならない厄介な仕事が置きっぱなしになっていることに気づ」く、と語っています。つまり、「僕」は自分が「希望を持っていない」理由を自分自身にも「説得」できていない人間なのです。【語りについて】の項目でも触れたように、「語る僕」は「徒労」を嘆く「語られる僕」を対象化して語りながら、「虚無的」な自分自身を乗り越えることを、自分自身に「説得」がなされることを、どこかで期待しているとも取れます。以上を踏まえると、「僕」は全くの絶望とともに苦しい生へと落ち込んでいくのではなく、時に「徒労」を味わいながらも、それでもどこかに「希望」を探して〈生者〉の世界を生きていくのである、……と捉えられるのではないでしょうか。
【まとめ】
たいへん長い記事となってしまいましたが、読書会のご報告をさせていただきました。「死者の奢り」は何といっても死体の描写の不気味さに目を奪われる作品ですが、丁寧に見ていくと解釈の余地がそこかしこに見つかり、非常に研究しがいのあるテクストであると感じます。
個人的な話ですが、「死者の奢り」は私が一年次に近代日本文学研究会へ入会した際、初めて研究発表を担当した作品でした(当時の記事:「大江健三郎「死者の奢り」研究発表」(平成26年7月10日))。当時の私は論文の収集すらままならず、本文検討に関しても〈メタファーの解読〉のようなことにこだわりがちで、先輩方には様々なご迷惑をおかけしました。あれから3年間ほど経ちましたが、今の私はかつての私を越えることができたでしょうか。
幹事を引き継ぎ四年次を迎えた今でも、こうして活動に関わることができて私は大変嬉しく思います。私の大学生活のほとんどを占めた研究会活動に、卒業までの時間を使ってささやかながら恩返しをさせていただきたいところです。
次回は7月3日、石川淳「佳人」研究発表会です。虚構の世界でなら線路の上を歩くことも許されますね。
6月26日の例会は大江健三郎「死者の奢り」の読書会でした。ここに活動内容をご報告いたします。司会は4年・今泉が努めさせていただきました。
「死者の奢り」は昭和32年に雑誌「文学界」にて発表されました、大江健三郎の短編小説です。本作は大江の文壇デビュー作とされ、また第38回芥川賞の候補作としても注目されました。第38回芥川賞選評の概要も併せてご覧いただければと思います。
大学生である「僕」は、大学医学部の地下に保管されているアルコール溶液漬けの死体を新しいアルコール溶液に移し替えるというアルバイトを請け負います。長い間アルコールに沈んでいた死者たちは、「硬くて安定した《物》」として「僕」の目に移ります。死体を三十年間にわたって管理してきた管理人や、妊娠したため中絶費用を稼ごうとする女子学生と協力し、夕方までかかって死体を移し替えた「僕」。しかし「僕」たちは、これらの死体が実は焼却場で火葬される手はずになっていたということを聞かされるのでした。
先行研究では、〈生者と死者との対比〉、〈「粘液質の壁」〉、〈登場人物について〉、〈題名について〉、など様々な点に着目されております。今回の読書会ではそうした先行研究の論点を確認しながら話し合いを始めました。
【語りについて】
さて、今回の話し合いではまず「僕」の語りについて話題に上りました。本テクストは「僕」の一人称視点で物語が展開していきますが、その中で「語る僕」と「語られる僕」とを想定した読みを展開できるのではないか、という意見です。作中に現れる「死者」の話し声は、趙美京氏「『死者の奢り』における〈僕〉の奢り―死者表象の転換を通して」(『文学研究論集』平成11年3月)に述べられているように「会話を表す括弧なしに叙述されている」ことから「たんなる「僕」の意識にすぎない」とも読めます。それらの「死者」の言葉は僕の考え方を相対化するような内容となっており、そうした〈自意識を死者の言葉として書き起こし、自分自身(=「語られる僕」)と会話させる〉ことのできる「語る僕」が表出しているといえるのではないでしょうか。
また先生から、語りが「僕は~」という言葉を頻出させていることについて(大江の研究対象であった仏文学からの影響も含まれているかもしれないものの)、そのように「僕」は「僕は~」という表現を多用することで〈ここでの記述は「僕」独自の見方にすぎない〉ことを表現し自己保身のポーズをとっているのであり、それは〈生者〉と会話するたびに生まれる齟齬の「面倒」さを避けるための態度なのではないか、というご指摘をいただきました。その態度も、「語られる僕」の言動を〈生者〉に対して語る際に「面倒」さを生むまいとする「語る僕」の態度である、という読みが可能かと思います。さらに、そうして「語る僕」自身が「語られる僕」の「虚無的」な態度を対象化するように語ることで、「僕」が「僕」の「虚無的」な態度をどこかで裏切ってくれることにも期待していたのではないか、というご意見もいただきました。
【「死者」の性質について】
「僕」の惹かれた「死者」の性質についても話し合いました。話し合いの中で見出されたのは、〈「僕」は「死者」の「安定した感じ」に惹かれていたというよりも、〈生者〉の「徒労な感じ」を嫌悪していた〉という意見です。すなわち、「僕」が真に欲していたのは〈〈生者〉との関わりが「徒労な感じ」に陥らないこと〉であったのではないでしょうか。
管理人、女子学生、教授、といった〈生者〉たちとの会話から見出せるように、どのような〈生者〉との関わりの中にも「徒労」「面倒」を感じてしまう「僕」は、「死者」の「安定した感じ」に惹かれました。死体の水槽を初めて目撃した「僕」が「僕もこの水槽に沈むかな」と発言したことからも、「死者」に対する「僕」の憧憬がうかがえます。
ただし「僕」は実のところ「死者」そのものに憧れていたわけではないでしょう。休憩のため死体処理室から脱した「僕」が外の風から「官能的な快感」を感じ、外界の爽やかさに晴れやかな感動を覚えているという様子から見て、「僕」は決して〈死んで「死者」の仲間入りをしたい〉というわけではないのです。生の喜びを実感した「僕」はその喜びから気分をよくし、「少年」に話しかけてしまったくらいです。しかし「僕」が「少年」と思ったのは実は中年の男性であり、「僕」はまたしても〈生者〉に裏切られることとなったのでした。
以上の流れから、「僕」は「死者」の「安定した感じ」を、あくまでも〈生者〉との関わり合いの中における「徒労な感じ」と対比したうえで、気に入ったのではないでしょうか。本来は〈生者〉と「安定した」交流が行えればよいのですが、「僕」が〈生者〉との関わりから「徒労」しか見出せない以上、「死者」の「安定した感じ」に惹かれるしかない、ということです。
しかしテクスト後半において「死者」が火葬されるべきものであったということを知ったのち、「僕」は死体を「醜くよそよそし」いものとして捉えます。「安定した感じ」を持っていると信じた「死者」でさえ人間社会の都合によって「火葬」へと追いやられてしまうことを目にした「僕」は、もう「死者」に惹かれなくなってしまったのです。「死者」も〈生者〉も結局のところは〈不安定〉でしかない、という気づきが生まれたといえます。
【最終場面とその後について】
とはいえ、「僕」が失望したまま生きていくことになったとは限らない、というご意見を先生からいただきました。そしてその観点から最終場面を確認しました。
最後の場面で「僕」は「喉へこみあげて来る、膨れきった厚ぼったい感情は、のみこむたびに執拗に押しもどして来る」と語っており、確かに「僕」が〈「徒労」を感じながらも生きていくよりほかになく、「困難」「億劫」を引き受けていくしかない〉と諦めていったかのように読めます。しかし、「僕」は「報酬をはらわせるため」に〈生者〉と関わる意思を見せているのです。「報酬」つまり金銭は、「死者」ではなく〈生者〉に属するものであるといえます。「僕」は〈「死者」も〈生者〉も同様に「徒労」や「不安定」といった要素を抱える存在である〉と気づいたうえで、〈生者〉に属しつづけることを選びました。そこにはもちろん諦めの感情もあったことでしょう。しかし、「僕」は「子供の時の他は希望を持って生きた事がない」、つまり〈子供の時には希望を持っていた〉人間です。また、「希望がない」理由を管理人に追及された際、その「面倒」に内心ため息を漏らしながら、「自分がひどく曖昧で、まず自分を説得しなければならない厄介な仕事が置きっぱなしになっていることに気づ」く、と語っています。つまり、「僕」は自分が「希望を持っていない」理由を自分自身にも「説得」できていない人間なのです。【語りについて】の項目でも触れたように、「語る僕」は「徒労」を嘆く「語られる僕」を対象化して語りながら、「虚無的」な自分自身を乗り越えることを、自分自身に「説得」がなされることを、どこかで期待しているとも取れます。以上を踏まえると、「僕」は全くの絶望とともに苦しい生へと落ち込んでいくのではなく、時に「徒労」を味わいながらも、それでもどこかに「希望」を探して〈生者〉の世界を生きていくのである、……と捉えられるのではないでしょうか。
【まとめ】
たいへん長い記事となってしまいましたが、読書会のご報告をさせていただきました。「死者の奢り」は何といっても死体の描写の不気味さに目を奪われる作品ですが、丁寧に見ていくと解釈の余地がそこかしこに見つかり、非常に研究しがいのあるテクストであると感じます。
個人的な話ですが、「死者の奢り」は私が一年次に近代日本文学研究会へ入会した際、初めて研究発表を担当した作品でした(当時の記事:「大江健三郎「死者の奢り」研究発表」(平成26年7月10日))。当時の私は論文の収集すらままならず、本文検討に関しても〈メタファーの解読〉のようなことにこだわりがちで、先輩方には様々なご迷惑をおかけしました。あれから3年間ほど経ちましたが、今の私はかつての私を越えることができたでしょうか。
幹事を引き継ぎ四年次を迎えた今でも、こうして活動に関わることができて私は大変嬉しく思います。私の大学生活のほとんどを占めた研究会活動に、卒業までの時間を使ってささやかながら恩返しをさせていただきたいところです。
次回は7月3日、石川淳「佳人」研究発表会です。虚構の世界でなら線路の上を歩くことも許されますね。