こんばんは。
先日12月15日(月)に行われた太宰治「魚服記」研究発表についてご報告させていただきます。
発表者は3年田中さん、1年村岡くんです。司会は1年山内が務めさせていただきました。
今回の研究発表は副題が「二重の逃避」ということで、「スワと父親の閉塞した世界」と「語り」からの逃避について言及するものでした。
「閉塞した世界からの逃避」とは、自我の目覚めたスワが父親から近親相姦を受けたことによって滝へ飛び込み、父親との閉塞した世界と決別するというものです。スワが「色の白い都の学生」が滝で亡くなったのを目撃し、それまで絶対的存在であった父親を相対化したことで、この逃避への意識が芽生えたのではないかとのことでした。そして「語りからの逃避」とは、スワの自我が目覚めたことによって、スワに寄り添っていた語り手がスワの心理の部分を語ることができなくなった点に着目したものです。
滝への投身と、先行論で「第二の自殺」とも表現された滝壺への投身は、それらの二重の逃避を生じさせているのではないかという結論でした。
質疑応答では、最初の方に「近親相姦を行ったのが本当に父親なのか」という意見が出ました。
その点については「『あの』くさい呼吸を聞いた」と指示語が使われていること(この場面に至るまでに、既に父親に対して「酒くさいいき」という表現が使われていました)、スワが「おど!」と叫んで滝に飛び込んだことを踏まえるとスワを犯したのは父親である可能性の方が高く、岡崎先生からも、近親相姦の相手を父親以外と想定することも可能だが、「あのくさい呼吸」は、父親のものと読むのが自然であるとのご意見をいただきました。
他には、レジュメで検討された「共依存関係」について、「父親はスワを女として意識せず、むしろスワが父親を男として意識していたのではないか」という意見が挙がり、それに同意される方も数人ほどいました。ここに関しては例会が進行していく中で岡崎先生からのご意見もあり、「共依存関係と断定はできない」という方向に落ち着きました。
さらに二度の投身について、「最初の投身は死を求めていたわけではなく、二度目の投身が最初の自殺だったのではないのか」という意見をはじめとして、いくつか解釈が挙がりましたが、スワの心理が語られない以上はこれらは推測の域を出ることができないとのご指摘がありました。
岡崎先生からは、鮒へと転身を遂げたスワの「うれしいな、もう小屋へ帰れないのだ」という奇妙な言い回しに、滝へ投身した後も未だに父親を断ち切れずにいるスワが表されている点や、大蛇に変身したと思い込んでいるスワが、実際には小さな鮒になって鼻先の疣をうごめかしているだけだったという様子を「……であったのに」という個人的感情の窺える表現で語り、語り手が客観的に分析することのできなくなっている点についてご指摘をいただきました。
また、スワの内面が語られないことで、読者に多様な推測の余地を与えていることを理解し、魚服記の構造を捉えていくことが大切なのではないかというお話をいただきました。
今回は今年最後の例会でした。
次回は来年1月19日(月)、岡本かの子「金魚繚乱」夏目漱石「文鳥」川端康成「禽獣」卒論最終報告会です。
先日12月15日(月)に行われた太宰治「魚服記」研究発表についてご報告させていただきます。
発表者は3年田中さん、1年村岡くんです。司会は1年山内が務めさせていただきました。
今回の研究発表は副題が「二重の逃避」ということで、「スワと父親の閉塞した世界」と「語り」からの逃避について言及するものでした。
「閉塞した世界からの逃避」とは、自我の目覚めたスワが父親から近親相姦を受けたことによって滝へ飛び込み、父親との閉塞した世界と決別するというものです。スワが「色の白い都の学生」が滝で亡くなったのを目撃し、それまで絶対的存在であった父親を相対化したことで、この逃避への意識が芽生えたのではないかとのことでした。そして「語りからの逃避」とは、スワの自我が目覚めたことによって、スワに寄り添っていた語り手がスワの心理の部分を語ることができなくなった点に着目したものです。
滝への投身と、先行論で「第二の自殺」とも表現された滝壺への投身は、それらの二重の逃避を生じさせているのではないかという結論でした。
質疑応答では、最初の方に「近親相姦を行ったのが本当に父親なのか」という意見が出ました。
その点については「『あの』くさい呼吸を聞いた」と指示語が使われていること(この場面に至るまでに、既に父親に対して「酒くさいいき」という表現が使われていました)、スワが「おど!」と叫んで滝に飛び込んだことを踏まえるとスワを犯したのは父親である可能性の方が高く、岡崎先生からも、近親相姦の相手を父親以外と想定することも可能だが、「あのくさい呼吸」は、父親のものと読むのが自然であるとのご意見をいただきました。
他には、レジュメで検討された「共依存関係」について、「父親はスワを女として意識せず、むしろスワが父親を男として意識していたのではないか」という意見が挙がり、それに同意される方も数人ほどいました。ここに関しては例会が進行していく中で岡崎先生からのご意見もあり、「共依存関係と断定はできない」という方向に落ち着きました。
さらに二度の投身について、「最初の投身は死を求めていたわけではなく、二度目の投身が最初の自殺だったのではないのか」という意見をはじめとして、いくつか解釈が挙がりましたが、スワの心理が語られない以上はこれらは推測の域を出ることができないとのご指摘がありました。
岡崎先生からは、鮒へと転身を遂げたスワの「うれしいな、もう小屋へ帰れないのだ」という奇妙な言い回しに、滝へ投身した後も未だに父親を断ち切れずにいるスワが表されている点や、大蛇に変身したと思い込んでいるスワが、実際には小さな鮒になって鼻先の疣をうごめかしているだけだったという様子を「……であったのに」という個人的感情の窺える表現で語り、語り手が客観的に分析することのできなくなっている点についてご指摘をいただきました。
また、スワの内面が語られないことで、読者に多様な推測の余地を与えていることを理解し、魚服記の構造を捉えていくことが大切なのではないかというお話をいただきました。
今回は今年最後の例会でした。
次回は来年1月19日(月)、岡本かの子「金魚繚乱」夏目漱石「文鳥」川端康成「禽獣」卒論最終報告会です。