近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

佐多稲子「女の宿」発表(第2週)

2009-11-24 00:43:31 | Weblog
こんばんは、モロクマです。
今週は先週にひきつづいて佐多稲子の「女の宿」の発表でした。
先週の指摘にあった、婦人団体の沿革についての資料と、〈私〉の位置を中心とした発表であり、短いながら言いたいことははっきりとしたものであったと思います。
ただ、レジェメに関して幾人かの指摘があり、たとえば、「~から」という接続助詞の使用や、登場人物である〈私〉を括弧付で表記していないなど……これは僕もしばしば陥る誤りであるため、自戒の念をあらたにした思いでした。
質問は主に、婦人団体についてのものが多く、それは資料として添付された婦人団体の沿革と、作中の団体との接点が、よくわからないというものでした。それから登場する女性一人ひとりについても、もっと細かく見ていける部分があるのではないか、といった意見や、大阪という風土への言及、戦争と女性との関係も、婦人団体と佐多稲子のパーソナリティから探っていけるのではないか、といった意見がありました。婦人団体の資料中で発表者が用いた「習俗」という表現も、質問を受けました。これは資料中のことばであった「習俗」が『女の宿』で問題にされているという発表者の主張に対してのものでした。「習俗の問題を(佐多は今作で)指摘している。」という意見は、その扱われている問題の大きさに対して、もっと綿密な研究が求められるように感じました。
しかし、それにしてもよくまとまった発表でした。発表者のお二人はお疲れさまでした。皆様も、風邪にはお気をつけてください。それでは。
モロクマ

佐多稲子「女の宿」発表

2009-11-16 22:46:58 | Weblog
こんばんは。
今週は佐多稲子の「女の宿」の発表でした。後期例会で取り上げたもののなかではもっとも新しく(昭和37年)、なおかつ女性作家であるという点に留意すべき作品ですが、発表者の意図も、「女たちの関係をふまえながら」という部分に的をしぼっており、そこから、時代・社会への批判意識を掘り下げていくものでした。
発表者はこの作品の登場人物である女たちをそれぞれ分析し、その関係と立場の相違点から展開させて、さらに主人公である私がまとめていく、という構造を持つ作品であるとしました。これには、いくつかの意見が他の人たちから出ており、特にその構造自体は理解されるものの、そのあとにつづく私の視点を経たことで個人的問題が、社会問題へと視野を拡大させていく、というまとめ方に対しては、活発な意見が多々出ました。
また、作品内で取り上げられた社会の問題は、婦人団体、および共産運動であると発表者はしましたが、その二つを並列に論じてよいのかという意見も出ました。婦人団体にしても、なにかしらの批判意識が、佐多稲子はこの作品にしのばせていると思う箇所があるので、それらの問題、社会という切り口が、どこを指し、どこまでを含むのかを論じるにあたって、今一度詳しい資料調べと、考察が求められるとう意見も出ていました。ほかには、文体や私の位置、となりの奥さんの論じ方など、作品全体にわたって意見が展開した例会であったように思いました。
こうした意見を次にどれだけ活かすことができるのか、発表者にはプレッシャーともなりましょうが、ぜひ次週もがんばっていただきたいです。

次週もひきつづき、「女の宿」の発表です。発表者はじめ、みなさま、風邪をひかぬよう体にお気をつけください。
モロクマ

片岡鉄兵(幽霊船)

2009-11-15 18:13:18 | Weblog
こんばんは 発表者の方はお疲れ様でした。 この作品は新感覚派時期における作品として位置づけされています。作品構成は大変ユニークだと思いました。AとBに分かれていて両方が少しづつ、ずらしつつ共鳴していくという立体的な構成になっています。窓の外と内、カーテンの不在からの光線の動き、酒瓶に当てる思い等窓を境にして外と内に女の感情が取り込まれている。そして女の幻想に近い尺度を読み取れるかが問題でした。幽霊は許婚の男の生まれ変わりかもしれないし、女の見間違いかもしれない。まるで謎解きゲームのような作品でした。質問は舵手が目撃する者として合理化されていく。という言葉の使い方に対して噛み砕いて発表者が丁寧に説明していました。「無鉄砲に使われているのではない」という事でしょうか。個人的には、作品全体に男と女の間にはいつも頽廃的なムードが流れていると感じました。愛のない二人が何故一緒にいなくてはいけないのか疑問です。山元オバサン。