近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

織田作之助「四月馬鹿」

2007-07-10 09:53:15 | Weblog
 今週は織田作之助「四月馬鹿(エイプリールフール)」の二回目の発表でした。作者の描きたかった、作家としての〈武田さん〉像など前週指摘された部分を中心に言及していってもらいました。

 〈武田さん〉は〈大阪で一番汚い男〉と形容されます。だからこそ、作家〈武田さん〉は市井のリアルを捉える眼をもつ作家たりえます。しかしその〈現実の底の底まで見透かす〉作家の眼は〈やられて〉いきます。実際の眼の負傷は作家としての眼の負傷を暗示し、作家〈武田さん〉はリアリズムから抜け出し、その果てに象徴の門に辿り着いた。と〈はしがき〉で言われるに至るという指摘がなされました。

 一方で人間〈武田さん〉は〈デマ〉を吹聴するのを楽しむ人物として描かれていきます。そして私は武田さんとその〈デマ〉を共有し、楽しみを分け合った存在であったことが二つに分かれた5銭札と2円50銭の時計の共有のエピソードによって暗示されていると指摘されました。〈デマ〉は〈武田さん〉の象徴として〈武田さん〉像を形成し、〈不死身〉の〈武田さん〉像を生んでいきます。そして、四月馬鹿の日に武田さんの急逝記事が新聞に載ります。四月馬鹿は〈デマ〉好きの〈武田さん〉の象徴の日でありその日に急逝記事の載るこの出来事は〈武田さん〉は最後まで〈武田さん〉らしくあったというこれまでの〈武田さん〉像の集大成として作品を締めくくります。

 作者はこの作品を〈武田さん〉の書いた〈「弥生さん」〉の真似をして書き始めます。3月の弥生から4月のエイプリールフールへ。作者はいかにして武田さんの方法を踏襲し、作家〈武田さん〉の〈追悼〉としてこの作品を創りあげているのか。発表者のまとめで言われた〈武田さん〉の意志を受け継いでいこうとする私の意志とは具体的にどのようなものであったのか、この部分に関するさらなる言及が期待されました。また、今後の課題として、〈大阪一汚い男〉と形容される〈武田さん〉や、〈武田さん〉をこのように描いていく作者の意識をいかに読んでいくかという問題がだされました。作者織田作之助とは。作品の書かれた時代の背景とは。私達はそのあたりをもっと把握して読んでいかなければ、作品の中で描かれている光景がいかなる意味で読めるのか理解していくことができなくなってしまうのではないかという問題です。今一度、作品のみに終始せず、作品周辺を把握したうえで作品を「よみ」をつくりあげていく意識を持つことが求められました。

 織田作之助は武田麟太郎にいかに近似していこうとしていたのか。また井原西鶴と武田、織田のそれぞれ近似の仕方などにも興味がわくところです。そのうえで、作品の「おもしろさ」をいかに発表の資料のなかで伝えていくか。後期はこのあたりをもっと意識して作品に向き合っていきたいですね。それでは、浅井でした。

虚構の中の真実

2007-07-03 21:28:56 | Weblog
 4年の山本です。今週は織田作之助の「四月馬鹿」についてでした。分析の流れとしては、「はしがき」「一章」「二章」「三章」「武田さんの人物像」「噂」「死」でした。それでは一つ一つ見ていこうと思います。
 「はしがき」は、一章の書き出しの趣旨の開示であり、小説としての役割を付加させるものです。作意には、武田さんへの哀悼の気持ちが込められています。
 「一章」は、過去形と現在形を混ぜた文体であり、三人称で語られています。それが、物語世界であるということを示しています。
 「二章」では、過去形で地の文が統一されており、〈私〉と武田さんの回顧録の様な話になっています。
 「三章」では、〈私〉が〈涙〉を流すことが、作者の武田さんへの追悼の気持ちと虚構の崩壊を表すことになっています。
 「武田さんの人物像」に関しては、〈私〉の中で、嘘を付き、〈デマ〉を飛ばして楽しむ〈武田さん〉像が形成されています。
 「噂」では、〈噂〉と〈デマ〉が交錯し、真偽の判別が困難となっていることが示されています。
 最後に「死」では、〈私〉の〈涙〉が、事実を目の前にして〈四月馬鹿〉という虚構が崩壊するということを示しています。
 質疑応答では、何が事実で何が虚構かということが問題とされていました。それに対する一つの回答として、虚構を活かすために事実を加えるということが挙げられていました。また「はしがき」のところにある〈リアリズムの果ての象徴の門〉とは何かと言うことも次週の課題の一つとなっていました。
 それでは発表者の方、来週も宜しくお願いします。