おはようございます。昨日11/24の研究会は谷崎潤一郎「刺青」の研究発表でした。発表者は1年渡部くん、3年斎藤さん、司会は3年田中が務めさせていただきました。
今回は「〈娘〉からの転身」という副題のもと、〈娘〉に着眼点を置いた発表でした。清吉が〈娘〉に彫った刺青が〈女〉へ転身させるファクターとして機能しており、物語の冒頭部の一文「すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。」の通り〈娘〉は「臆病な心」で覆われていた魔性の〈女〉の本性を顕在化していきます。それは悪の美しさとも言える転身を遂げた、との主張でした。
質疑応答では、清吉が〈娘〉に刺青を入れることで起こる変化は物語から明白なことであり、〈娘〉に名前のないことから転身を望んでいるのはこの〈娘〉に限ったことではない、という〈娘〉の匿名性に言及するなど研究方法に問題点があるとの指摘や、物語の最後「女は黙って頷いて肌を脱いだ。折から朝日が刺青の面にさして、女の背は燦爛とした。」を輝かしい未来の象徴と表現してよいのか、象徴論でまとめてしまってよいのか、などありました。
最後に先生から、〈娘〉に着眼点を置いたが故に清吉に寄り過ぎている語り手を信頼しすぎてしまったことで麻酔を使って刺青を入れる反社会的な暴力性を美に収束させる語りの芸術至上主義、また「すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。」の前にある女定九郎などは男が演じており、必ずしも女の美しさでは無く、あえて女の刺青に触れない、従って刺青は特権的なものではなく、「刺青」の時代設定も単なる江戸ではない刺青が評価される時代を作り出している語りの隠蔽に着目すべきではないか、とのご指摘をいただきました。
来週12/1は川端康成「水月」の研究発表です。それでは失礼します。
3年田中
今回は「〈娘〉からの転身」という副題のもと、〈娘〉に着眼点を置いた発表でした。清吉が〈娘〉に彫った刺青が〈女〉へ転身させるファクターとして機能しており、物語の冒頭部の一文「すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。」の通り〈娘〉は「臆病な心」で覆われていた魔性の〈女〉の本性を顕在化していきます。それは悪の美しさとも言える転身を遂げた、との主張でした。
質疑応答では、清吉が〈娘〉に刺青を入れることで起こる変化は物語から明白なことであり、〈娘〉に名前のないことから転身を望んでいるのはこの〈娘〉に限ったことではない、という〈娘〉の匿名性に言及するなど研究方法に問題点があるとの指摘や、物語の最後「女は黙って頷いて肌を脱いだ。折から朝日が刺青の面にさして、女の背は燦爛とした。」を輝かしい未来の象徴と表現してよいのか、象徴論でまとめてしまってよいのか、などありました。
最後に先生から、〈娘〉に着眼点を置いたが故に清吉に寄り過ぎている語り手を信頼しすぎてしまったことで麻酔を使って刺青を入れる反社会的な暴力性を美に収束させる語りの芸術至上主義、また「すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。」の前にある女定九郎などは男が演じており、必ずしも女の美しさでは無く、あえて女の刺青に触れない、従って刺青は特権的なものではなく、「刺青」の時代設定も単なる江戸ではない刺青が評価される時代を作り出している語りの隠蔽に着目すべきではないか、とのご指摘をいただきました。
来週12/1は川端康成「水月」の研究発表です。それでは失礼します。
3年田中