こんばんは。
6月18日の例会は有島武郎「一房の葡萄」の研究発表でした。
発表は2年神戸さん、1年松尾くん、芦沢さんです。
司会は佐藤が務めました。
それでは本文分析に移ります。
本論は、「僕」の罪の意識のあり方を中心に進められていきました。
西洋人ばかりの環境に居るなかで、孤独や劣等感を感じている「僕」はジムの絵の具を盗み、「大好きな若い女の先生」に嫌われるのを恐れ激しい罪悪感に見舞われる。
ここで、女教師は「僕」の庇護者として存在し、与えられた葡萄は「僕」にとっては罪の象徴となる。それは同時に先生の愛ともいえることができ、罪を自覚し成長した者への褒美ともなると展開されました。
まとめとしましては、盗みが発覚することにより後悔の念が現れ、盗みは大好きな人を傷つけるいやなことという意識が芽生えたといえる。また、児童自身の気づきを促す女教師のあり方は、読者に、本文で行われた指導を考えさせる童話のあり方そのものである。
となりました。
挙げられたご意見としましては、
愛のある指導である葡萄の存在に、罰を与えるという意味を含むのか、葡萄をおいしく食べたことについて、最後の3行の意義について、同時代評まとめのキリスト教の気配とは何か
といったものが挙げられました。
また、岡崎先生と先輩からは、あらすじを追うことは必ずしも研究ではないので、児童文学や「赤い鳥」、キリスト教の役割について調べることも必要であること、
また作家論だけでなく、舞台の横浜や西洋人、ミッション系の学校についても丁寧に分析していくこと、教育者としてだけではない女教師の存在にも注目し、児童文学ではなく大人も読める小説としての視点を持つことで最後の3行の意義も見えてくる
といったご指導をいただきました。
あらすじだけでなく作品舞台や登場人物を登場させた意味についても研究することで更に深い読みをすることが必要だと改めて感じました。
発表者の皆様はお疲れさまでした。
次回は志賀直哉「真鶴」の研究発表です。
それでは失礼致します。
6月18日の例会は有島武郎「一房の葡萄」の研究発表でした。
発表は2年神戸さん、1年松尾くん、芦沢さんです。
司会は佐藤が務めました。
それでは本文分析に移ります。
本論は、「僕」の罪の意識のあり方を中心に進められていきました。
西洋人ばかりの環境に居るなかで、孤独や劣等感を感じている「僕」はジムの絵の具を盗み、「大好きな若い女の先生」に嫌われるのを恐れ激しい罪悪感に見舞われる。
ここで、女教師は「僕」の庇護者として存在し、与えられた葡萄は「僕」にとっては罪の象徴となる。それは同時に先生の愛ともいえることができ、罪を自覚し成長した者への褒美ともなると展開されました。
まとめとしましては、盗みが発覚することにより後悔の念が現れ、盗みは大好きな人を傷つけるいやなことという意識が芽生えたといえる。また、児童自身の気づきを促す女教師のあり方は、読者に、本文で行われた指導を考えさせる童話のあり方そのものである。
となりました。
挙げられたご意見としましては、
愛のある指導である葡萄の存在に、罰を与えるという意味を含むのか、葡萄をおいしく食べたことについて、最後の3行の意義について、同時代評まとめのキリスト教の気配とは何か
といったものが挙げられました。
また、岡崎先生と先輩からは、あらすじを追うことは必ずしも研究ではないので、児童文学や「赤い鳥」、キリスト教の役割について調べることも必要であること、
また作家論だけでなく、舞台の横浜や西洋人、ミッション系の学校についても丁寧に分析していくこと、教育者としてだけではない女教師の存在にも注目し、児童文学ではなく大人も読める小説としての視点を持つことで最後の3行の意義も見えてくる
といったご指導をいただきました。
あらすじだけでなく作品舞台や登場人物を登場させた意味についても研究することで更に深い読みをすることが必要だと改めて感じました。
発表者の皆様はお疲れさまでした。
次回は志賀直哉「真鶴」の研究発表です。
それでは失礼致します。