近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

坂口安吾「桜の森の満開の下」

2011-06-29 22:32:09 | Weblog
皆様こんばんは、いしがみです!


6月27日に行った坂口安吾「桜の森の満開の下」の発表について記載します。
発表者は岡野さんと藤野くん、司会はT先輩です。

同時代評では文体についての説明が挙げてあり、先行論ではキーワードや最後の作者による説明について触れてある論が記載されています。

本文分析では、桜の定義や女に着目した分析や、女の美しさに惹かれた男の分析や、桜と女との類似や、男の在り様、怖れ、男の孤独、首遊び、空が落ちてくる場面や、嘘、鬼、男のふるさとなどについて分析をなさっていました。

まとめと致しましては、女は桜の森の満開の下であり、美であり、都であり、鬼であり、観念的な存在だ。男と女では重なる部分を持ちながらも、対立する価値観を持っている。不変的なものと流動的なものの対比となっている。結末はあまりにも救いようのないものに見える。とのことでした!!

ご質問頂いた内容と致しましては資料内容の確認が一番多かったです。書式や誤字脱字が少々目立ちました。その他のご質問は、「美については先行論で人工美というものも言われていますがそれについてはどう思っていますか」「本文3、4は、愛を知ったことで変わるということですか」「本文7の尽くすのが当たり前とは、もっと前からそのような表現があるのですがこの部分が契機だと思ったのですか」「本文3の女の美しさは不安や恐怖によってということでしょうか」「P362とP361などの苦しみについてはどう思いますか」「男、女はどういう存在ですか」などでした。

ご意見、アドバイスについても資料内容についてのアドバイスが多かったです。
「ラストの男と女が花びらになってしまうところは桜が首遊びをしているように思える、P355で桜に固執していることや、登場人物に名前がないのは桜に名前がないように桜から見て人間にも名前をつけないのではと思いました」「初出初刊は後書きも含めてきちんと見た方が良いですし年号があっているかなども確認しましょう。先行論ではこうだという答えは危険。先行研究は大事な所に傍線を引く。同じ人の論は一つにまとめる。論のタイトルをまず載せる。」「女が鬼になったという解釈は男が要所要所桜に戻り、男は女を狂人のように思う部分があるから。鬼のような場で会う女をどうとらえていますか」「二人にとって鬼は残虐なものですか、鬼はみにくいし残虐だけど女は美しさもある、美しさや優しさを見たから残虐や不安感というものを見たほうが良い」などでした。丁寧なご助言、ありがとうございます!

はじめての発表で読み解きの難しい作品でしたので大変だったと思います、発表者のお二人、お疲れ様でした!


来週の発表は芥川龍之介さんの「杜子春」です。
それでは失礼致します。

谷崎潤一郎「刺青」

2011-06-23 09:52:04 | Weblog
またまたおはようございます、いしがみです!


6月20日に行った谷崎潤一郎「刺青」の発表について記載します。
発表者は木佐貫さんと佐藤さんと今井さん、司会はT先輩です。

同時代評では良い意見と悪い意見を載せてあり、先行論では谷崎の美意識と、
時代とのからみ、宿願について説明のあるものを載せてあります。
そして初出までの経緯と、刺青という言葉の意味について本人の言葉や先行論を用いて、
説明して頂きました。

本文分析では一つ一つ清吉と娘の変化を検証していく形でした。
時代、清吉の考え、世界観、宿願、清吉の求める女像、執着、舞台設定、絵、絵と娘の関係、清吉の絵に対するとらえかた、麻酔剤の必要性、清吉の行う刺青が魂と関係していること、娘へ行った刺青に対しての清吉の感情描写、清吉のその後、肥料と犠牲の関係、女郎蜘蛛の刺青が与えた娘への影響、娘から女への変貌、娘と絵の同化、などに分けてあり、物語の流れに沿った丁寧な分析だと感じました。

まとめと致しましては、清吉は自分の宿願を叶えることを通して娘を女に変貌させた、
自分の人生全てを娘の背中に注ぎ込むことでただの刺青師から芸術家に昇華した。
との締めくくりでした。

発表者の方々に寄せられたご質問と致しましては「清吉は醜いことに入るとお考えですか」「娘が女になる以外は何かありませんか」「まとめの文章ですがまわりから定評があるのにただの刺青師として良いのですか」「清吉の目から見たらただので良いのでは」「女がどう生きているか女が刺青を彫ることについてはどう思いますか」「刺青で女郎蜘蛛を彫ることに関してはどのような意味があると思いますか」などです。

ご意見、アドバイスも充実していました♪
「刺青の意味が本文と合っていない部分がある」「刺青は当時の認識と作者の認識をしっかりしておきたい、清吉はご禁制で日陰の仕事をしていて反社会的な生き方をしているし堕落やおろかな部分があり刺青師として危うい人物、理想の高さが彼を堕落させているこういった所も押さえてみてると良い」「本文分析4の女に対しての執着はほとんど見られないと言った後に、本文分析6で相手への執着が増しているとしている、ここは物体や素材への執着が増しているとした方が分かりやすい」「先行論の扱い方ですが、資料3の藤原さんの先行論でこう言われているからこうだとしてしまうのではなく、自分たちの考え方をまず提示してその補足として先行論は使った方が良い」「娘から女への変化ですがP17で清吉が思ってもいなかった変化を遂げるので最初からしようとしていたことを肥料という一つの言葉でまとめてしまうのではなく細かく分けた方が良い」「資料6も先行論を載せる前に自分たちで調べた考えを載せてから先行論を使った方が良い」「研究史はもっと新しいものも引いたほうが良い」「絵というのは何もない所から描くけれどこの作品では絵がはじめからある、足だけで判断していた」

全体的には、確認と、先行論の取り扱いに関してのアドバイスが多かったです。

いしがみは考えるのがとても遅い人間なのでオロオロと違和感を感じた部分を提示する形になってしまったのですが岡崎先生と石井先輩がそれ以上の形で代弁して下さり、(す、すみません精進します;)個人的に2回の大きな感動が巻き起こったという場面もありました!!

…そんなドラマティックな場面のあった今回の発表!
女に関しての最終的な読みですが、いしがみは本文の「鋭い力がこもって居た。」「剣のような瞳を」というところから、女は刺青を彫られて恨んでいるのではと思いました。


来週の発表は坂口安吾さんの「桜の森の満開の下」です。
それでは失礼致します。

円地文子「妖」

2011-06-23 07:21:55 | Weblog
皆様おはようございます、いしがみです!


ブログの更新が遅れましたことをお詫び申し上げます。
6月13日に行った円地文子「妖」の読書会について記載します。
読書会ですので発表者はおらず、司会はT先輩です。

読書会は道筋がない分、自由な発想の読みが出て面白いので
いしがみはいつもドキドキワクワクしながら参加しております!

今回は前回のような発表ではないのでご質問やご意見、アドバイスはなく、
自分の読みや問題提起を語る形式です。

「白髪は女性にとっての性が失われている、その怖さで取り戻したい気持ちになったのではないか」「千賀子と夫では桐子への感情が異なっている、同じことが起きていても温度差があり意味合いが違う」「老いに反抗する欲望、おぞましさが妖たる所以なのでは」「花瓶の思い出の部分で千賀子の気持ちが夫から離れていった経緯が描かれている」「花瓶を割ることで不義の恋は成就しない」「花瓶を割るのは女として生きさせてくれなかった夫への復讐」「夫は花瓶を集めることで性の代償を得ている、妻の場合の代償は小説だ」「(必ず別のもので埋めなければならない)という文章から、千賀子と性行為して埋めようと考えたのでは」「(顔立ちが変ったといわれたのは昨日の啓作が最初である)という文章から、顔を若くする為にメイクをはじめている千賀子は女として生きていないから女として終わってしまうことをなくしたい、だからメイクで顔を変えたのでは」「男子学生の描写が視覚から聴覚になっている、義歯というコンプレックスはメイクでどうにもできないので涙ぐんだのでは」「義歯があるから魅力に欠けてもう恋ができない、夫しかいないと思っている」「音が千賀子の深層世界を表わしている」「坂はP287にあるように子どもの頃から千賀子と共にあり、見守ってくれている存在」「坂が擬人化して描かれている、(恋人を待っていた)とは坂のこと」………などなど!

全体的には、<花瓶><メイク・義歯><坂>などのキーワードに読みが集中しています。

最終的な焦点としてP301~302の笑いをどうとらえるかということに行き着き、
「ノートに書かれている男女がキスをしている、それは坂が変化したものでノートに書くことにより春本が昇華され、花瓶が昇華されている」というお言葉で今回の読書会は終わりました。

いしがみが一人で読み終えた時は、千賀子は恨みを抱えたまま終わったという考え方でしたので昇華されたという見方が加わり、また違った味を楽しめました!年を重ねてから自分の経験と照らし合わせてまた読んでみたい作品だなと感じました。

司会のT先輩、作品に出てくる花瓶の絵の説明がとても分かりやすかったです、
読みの助けになりましたありがとうございます^^


次の発表は谷崎潤一郎さんの「刺青」です。
それでは失礼致します。

芥川龍之介「魔術」

2011-06-07 23:40:53 | Weblog
皆様こんばんは、いしがみです!


6月6日に行った芥川龍之介「魔術」の発表について記載します。
発表者は西村先輩といしがみ、司会はT先輩です。

まずどのように論じられてきた作品であるかということ。
そして魔術という言葉の定義について触れ、当時の方々が魔術という言葉を、
どのように感じていたのか読売新聞の記事などを挙げてご説明しました。

そして、先行研究で論じられている「3つの魔術」という言葉を足掛かりに、
視覚の魔術、心理の魔術、語りの魔術という分野に分けて本文分析をすすめていきました。

その結果、「3つの魔術」は独立しているのではなく作用しあっていることが分かりました。
作品で描かれた情景は私の欲が呼び寄せたものであるしミスラ君の魔術が呼び寄せたものでもある。色々なものが重なり合って「魔術」という作品は成り立っているとの見解に至りました。

ご質問頂いた内容と致しましては「魔術は催眠術に近いものなのでは」「ミスラ君は愉快犯のように見える」「ミスラ君に欲がないとするなら印度の独立を望んでいる部分はどう思うのか」「改変という言葉を使用している意味合いについて」等のお言葉を頂戴致しました。

ご意見、アドバイスも沢山頂きました!「ダブルバインドという言葉が難しい」「谷崎の「ハッサン・カンの妖術」との比較をやると良い、そうすれば芥川がどういう意識で向き合ったかを読み取れるのでは」「たとえば芥川の中ではヂンはいないことになっている、そこにも意味があるかもしれない」「芥川の中では新しい知識とバラモンの古い秘法を持っているけれど苦悩は見えない」「(ハッサン・カンとからめて)愛国者であるミスラ君にとっては魔術自体が自分のアイデンティティだとも言えるのでは」「ミスラ君にとっての魔術と私にとっての魔術の意味合いというものは違ってくる」などの貴重なお言葉ありがとうございます!!!
全体的には、典拠とされている「ハッサン・カンの妖術」との比較を行った方が良いというアドバイスを多数頂きました。

本文にそって研究することは読みを狭めてしまうことにもなりかねないのだと痛感し、
7月の「杜子春」の発表ではもっと広い視野で典拠との比較をしていきます。
一緒に発表をして下さった西村先輩、司会のT先輩、近代日本文学研究会の皆様に
心からお礼を申し上げます。


皆様とお会いできることが嬉しいです!夏の合宿も楽しみにしております。
来週の読書会は円地文子さんの「妖」です。
それでは失礼致します。

新入生歓迎会を行いました!

2011-06-07 09:37:10 | Weblog
先週の金曜日に新入生歓迎会を行いました。

本来ならばゴールデンウィーク前に行うはずでしたが、今年は新学期の開始がかなり遅れたため、このような時期に行うこととなりました。
しかしそんな状況にも拘らず、今年度は1年生が5人、3年生が2人の計7人という例年よりも多い新入生に恵まれ、そのためとても賑やかな歓迎会となりました。

一次会は食事メインのお店で、美味しい食事とお酒を楽しみながらゆっくりと皆さんとお話しすることが出来ました。会の途中では改めて自己紹介をし、今後に向けての御挨拶をいたしました。またその際、傳馬先生に文学について、これから文学研究をする時の心がけなど、大変有益なお言葉をいただくことが出来、新入生・在学生共々、今後の研究会活動にむけての心構えができたのではないかと思います。

二次会では多くのOBの方がお越しくださって、さらに盛り上がった会となりました。皆さんお酒もまわってきて、新入生も打ち解けた様子で、会話を楽しんでいました。

今回の会は、3月に卒業生が抜けて学部生が4人になっていた近研に、久しぶりにフレッシュさと勢いが戻ってきたなぁと実感できた会となりました。私も新入生に負けないように頑張って行きたいと思います。

最後に、忙しい中お越しくださった先生方、OB・院生の方々、どうもありがとうございました。
今後も近研をよろしくお願いいたします。

ニシムラ