近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

5/23芥川龍之介「枯野抄」研究発表

2016-05-23 22:58:47 | Weblog
こんにちは。
5月23日に行われた芥川龍之介「枯野抄」研究発表のご報告です。
発表者は三年渡部くん、一年宇佐美さん、司会は三年山内が務めさせて頂きました。


今回の発表は「弟子と語り手のエゴイズム」という副題を掲げ、本文検討では弟子の内面描写に着目しながら、「枯野抄」には弟子のエゴイズムが描かれているが、それらを語るのは語り手であり、語り手は「花屋日記」(※)を一方的に解釈しているに過ぎず、語り手もまたエゴイズムから逃れることのできない存在であるという読みを提示して頂きました。

(※江戸時代の俳人である藁井文暁が、松尾芭蕉の弟子たちの手記や書簡を集めて編纂したふうを装って1811年に刊行した芭蕉臨終記)


発表の着眼点として、語り手には弟子のエゴイズムを暴こうとする意図があり、そのために彼らのエゴイズムは拡大して語られているのではないかということが挙げられましたが、これについては岡崎先生から、最も基本的な事項ですがそのように読める根拠、すなわちエゴイズムが拡大されているという部分が相対化されていることを示す部分をテクストから拾ってくる必要があるというご指摘を頂きました。

他には、師の臨終の場にそぐわない弟子たちの内面描写は必ずしも批判されるものではないというご意見や、「枯野抄」に書かれているのが他の誰でもなく「芭蕉の死」であるということを、もっと大事に読んでいくことで開けてくる可能性があるのではないかという助言がありましたが、この点については岡崎先生からも他の弟子(=丈草以外の弟子)は「芭蕉の死」であるということを自覚していないことが読めるいうお話を頂きました。

また最後に、先行研究では「枯野抄」はエゴイズムに塗り潰されたテクストであるという評価がしばしば下されているように見受けられますが、丈草の内面描写を追っていくと、むしろ芭蕉の落命は尊厳をもって描かれており、必ずしも悲観的な小説ではないのではないかというご提言を頂きました。


以上、簡潔ですが今回の活動のご報告でした。
司会の技量不足ですべての方のご意見をご紹介することはできませんでしたが、短い時間の中でも活発な議論が交わされていたことをここに記しておきます。
そして今回は一年生を加えた初めての研究発表でしたが、一年生の方も積極的に質疑応答に臨んで下さり、見習うべき点が多々ありました。これからのご活躍に期待したいものです。


来週は宮沢賢治「なめとこ山の熊」の研究発表です。